古典文学鑑賞 好色一代男 身は火にくばるとも | そろって浄土に弥次喜多道中膝栗毛

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残り少ない人生、死ぬのは苦しいものか、どうも痴呆老人になって死んでいくようだ。お寺の坊さんに頼んでいるが。
残りの人生、東海道中膝栗毛の弥次喜多道中のように気楽に行けないものか。

古典文学鑑賞 好色一代男 身は火にくばるとも

小生の人生 おこがましくも 女性にはまったくご縁がありませんんでしたよ  知った女性は家内一人 後生大事に付き合ってきました 浮いたお話し 色気のあるお話しまったく無し

前に読んだ江戸時代の学者 本居宣長の著作に 人間として生まれて恋も知らないようでは 人間として 生きたというか生まれた意味がないとか 述べられていましたよ 小生の人生もそんなものでしょうかね


                    (やはり 奇麗どころが 一番)

                「江戸イラスト事典」 渋川育由編 河出書房新社 参考 以下同じ



           恋も知らずに 終れり  この世かな


              桜の花ほど 憂きものはなし 


                        (釈願清)


この一年 井原西鶴の好色物を読んでいますよ なにやら 別世界の如きお話し 目の覚める思い 勉強すること多々 このような世界も知らずに わが人生を終えるのも虚しき思い 少しずつ

読んでいるところ 「新編 日本古典文学全集 井原西鶴集」 暉峻康隆ほか著 小学館から
本書に あの藤本義一先生の「わが西鶴考」が載っていましたよ 藤本先生 よく読させていただ

きましたよ 面白い人でしたよねえ 二年前にお亡くなりなりましたねえ 残念ですよ
藤本先生の わが西鶴考が面白いですよ 西鶴物の面白い読み方というか なるほど こんな



                   (やや 年増の雰囲気もいいものですよ)


み方があるのかと 感心しました 小生のようなまったくの素人が 西鶴物を読むときに参考となりますよ それに第一文章平易 読みやすいのです

「文章表現の簡潔さ 元禄期は語句(かたりく)の時代 昢(はなし)の全盛期 面白い市井の断片がリズムをもって語られそして文章として纏められている」(p2)という 大坂人のもつ饒舌の

世界を如何に載(き)りとるかという技ともいうのだ
勝手気儘な非文学的読み方こそが 西鶴文学が楽しくなるという近道なのだという ふーん

あの井原西鶴 イハラサイカク は 胃と腹と才覚をいうのだという 五臓六腑と才覚(知恵=頭)があれば 人間楽しき人生を送れる意味なのだ

藤本先生の広い視野に 御造詣には驚きますよ 確かに 好色一代男 夜乃介の行状を読んでみますと 各地の美味き料理をしっかり堪能し しかし 腹とは なんだろうか 食欲か 性欲の

どっちか 後者のような気がしますよ これが夜乃介の如く 精力絶倫でなければ 色の道を極めることはできませんよ  さらに 色の道に才覚はぜひとも必須の教養 金払いがよく 野暮で




                    (ちょっと 遊び女風もお色気が)


あってはなりませんよ センスよく 格好良く遊ばないと芸者衆に嫌われますよ
やはり 基本は個人として楽しく時間を過ごせばそれに勝るものはありません 難しく考えて四苦

八苦するより よっぽどまし 植木等先生のスーダラ人生が最高なのだ
まずは このような視点から 西鶴物を読んでみようかとも思う

今回のお話し 「身は火にくばるとも」 新町夕ぎりが情けの事なる副題 これはなんだろう 夜乃介 四十三歳ですよ 新町の名高き太夫 夕霧のお話し 夕霧といえども あの源氏物語の夕霧

ではありませんよ
大坂は生玉神社の御池の蓮葉(はちすば) 毎年七月十一日に刈るしきたりとか あわせて 鯉

鮒 泥亀なども取りこむという 
その日は 越後屋扇屋の主ほか 夜乃介を交えて五,六人 いずれも当世の伊達男 初秋の朝

早くから 提重箱(さげじゅばこ)にもろこし餅 酒など 優雅にお遊び


              松の木陰は 時雨の雨か ぬれ懸かる かかる





                      (花と美女 いい風情)


と はやり歌なども 同じ 口拍子に
まず一番には 「背山」なる太夫は 如何 次なるは 大橋 お琴 朝妻 などなどと 小柄である

とか 背が高いとか 不細工な顔立ちとか 欲深くとか 首筋の腫れ物だ困るとか 欲が深いとか
鼻の穴が黒いとか 一長一短 多少のあらわはあっても まあまあの太夫なり

しかし その中にあっても 一番の太夫は夕霧 これは天下一品 どのような太夫か 五人一度
に 「夕霧より外に 日本広しと申せども この君 ゝ」(p172)と口を揃へて 褒めたたえるのだ 
(続く)