石光真清の手記 | 秘密基地ベーリン

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2015年10月からのベーリンでの生活も8年目に入りました。健康第一、ベーリン方丈庵の日々を綴ります。

明治元年(1868)、熊本細川藩の産物方頭取の子として生まれ、軍人となって日清戦争・台湾平定に参加するも、ロシアの南下政策に脅威を感じシベリア、満州での諜報活動に従事。 息子の真人が手記(遺稿)をまとめた四部作は、明治・大正・昭和の時代の様子を知る貴重な資料です。

 

 

『城下の人 石光真清の手記①』 中公文庫

中学時代までは、生家の本山町を始め、熊本城付近の地名がたくさんでてきて懐かしくなります。 神風連の乱・西南戦争を子供の眼で観、陸軍幼年学校・士官学校を経て近衛歩兵連隊に勤務。 大津事件で負傷したロシア皇太子を見舞う明治天皇を新橋駅に向かう沿道で警護したり、皇后陛下の葉山行啓に供奉、日清戦争で割譲を受けた台湾で降伏を拒否する清国軍の討伐などは興味深く読みました。

 

『曠野の花 石光真清の手記②』 中公文庫

将来のロシアとの戦争に危機を感じ、明治32年にアムール川の交通の要衝ブラゴヴェヒチェンスクに留学。当地で対岸の清国・黒河からの砲撃で始まったロシア・カザック兵による清国人3000人の虐殺に遭遇。 明治34年からは哈爾濱(ハルビン)に写真館を開き、ロシア軍の情報収集に当たるくだりは下手な小説よりも緊張感があります。

 

『望郷の歌 石光真清の手記③』 中公文庫

明治37年日露戦争に第二軍(奥保鞏司令官)の司令部副官として参戦。

戦場で近衛歩兵聯隊時に教育した士官候補生と出会い、「いつも戦場を巡って感じますことは、このような戦闘は、命令や督戦では出来ないということです。命令されなくても、教えられなくても、兵士の一人一人が、勝たなければ国が亡びるということを、はっきり知って、自分で死地に赴いております。 この勝利は天佑でもなく、陛下の御稜威でもございません。兵士一人一人の力によるものであります・・・さように考えることは、教官殿、けしからぬことでしょうか(P67)」と言われるところは、現在のキエフ攻防戦を必死に戦っているウクライナ兵士とダブって読みました。

日露戦争後に満州で始めた事業はことごとく失敗し、失意の中で日本に戻り、東京郊外の世田谷村で郵便局長として再出発。家族とつかの間の平穏な日々を送るうちに、明治は終わりを告げます。

 

『誰のために 石光真清の手記④』 中公文庫

ロシア革命が始まり、軍嘱託として再びアムール河畔のアレキセーフスクニで諜報活動に従事。 赤軍と反革命勢力の抗争に加え、日本軍のシベリア出兵の嵐の中でもみくちゃにされます。

「人間というものは鳥や獣類と同じような本能を持ったものとみえて、嵐が迫りつつあることを感じても、やはり自分の巣から逃亡する気には、なかなかなれないものですね。嵐よりも逃亡先の新しい世界と新しい境遇がおそろしくて・・・不安で、踏み出そうとする足を押さえてしまう。僅かな資産を惜しむからじゃありません。むつかしい理屈なしにこれが郷土愛であり愛国心というものでしょうか・・・そんなことを考えることがあります。(P121)」これは、国外逃亡を躊躇する資産家の言葉です。 今回のロシアによるウクライナ侵攻で多くの避難民がいますが、国に残っている人はこんな気持ちなのかと思ったりします。

帰国後は、夫人の死や満州での負債等で失意の日を送り、昭和17年(1942)に76歳で波瀾万丈の人生を閉じました。

 

日本は中国・ロシア・北朝鮮など核を持つ国と接し、この先も平和である保証は全くありません。 戦争を仕掛けられないために、侵攻を思いとどまらせる軍事力・同盟国を持たなければならないと思います。

 

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『オレたちバブル入行組』 池井戸潤/文春文庫

『オレたち花のバブル組』 池井戸潤/文春文庫

 

Book Offで見つけてタイに持ち込み、一気に読みました。 中古本は、中に書き込みなどがあると気分が悪くなりますが、今回は上記写真右のメモが入っていて温かい気持ちになりました (=^・^=)

 

その後、YouTubeでも「半沢直樹」全10話を一気見。 今さらですが、“倍返し”は痛快です!

 ※画像はYouTube画面から借用

 

池井戸潤さんの作品はどれも面白くて、Book Offの110円のコーナーで見つければ購入してしまいます。

 

※広告が掲載されていますが、内容とは無関係です。 

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