ひでです。お早うございます。今は道の駅名立谷浜に居ます。約1年ぶりの夏旅なんで、ブログの要領が得ません。何泊目だったのか?とか、あ、走行距離を撮り忘れていたりとか。まあ、自分の備忘録なんでそんなもんですが。笑
昨日は、大量の荷物を積み込んで出発しました・・が、早速どれくらいの荷物を積み込んだかで言い合いになる始末、先が思いやられます。とにかく先は長い、人間辛抱です。笑
富山の道を走っていると
「ひでひで、さっきからずっと道沿いに、グーと
パーが書いてあるけど、なに?」「知らんがな」
奥様が調べると、それはグーパー標識と言って、凍結防止剤の散布作業を委託された業者が、分かりやすいように、富山河川国道事務所が「パーの標識に合わせて凍結防止剤をまき始め、グーの標識でまき終える」ための標識だそうです。
因みに、パーの標識には、力士が塩をまくように、手から粒が飛んでいる様子が描かれているんだそうです。勉強になりました。
魚津のジョイフルでご飯を食べ
最初に行ったのは世界遺産「アフリカ大地溝帯」です。笑
皆さんもご承知のように、地表の下にはマントルが常に対流していて、世界のどこかには広がる境界とぶつかる境界があるんです。
広がる境界の代表は、アイスランドの地溝帯と、アフリカの大地溝帯です。
って、中学の地理の時間に習いましたよね。
残念ながら、どちらも車では行けないんです。なので、絶対見ることはないでしょう。笑
と言うことで私達は、車で行ける地溝帯、フォッサマグナ(日本列島を東西に分ける巨大な地溝帯(大地溝帯))へ来ました。大分スケールが違いますね。笑
北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界がフォッサマグナです。果たして、この地溝帯は日本列島を分断するのかぶつかって押し上げるのか?
今から地溝帯の露頭を見に行きましょう。
駐車場から露頭迄が10分。そこから枕状溶岩迄が15分。枕状溶岩の側に駐車場が有りますのでそちらに車を回しましょう。
と言うことで、下根知農村公園駐車場にやってきました。
本当にクマが出たのか?それとも脅しなのか?こんなものがあったら先に進めません。
枕状溶岩は駐車場の目と鼻の先に有るんですぐ見れます。
昔海底だった所にある火山が噴火し、溶岩がソーセージのように流れ出て、地上に現れ、川の流れに長い年月をかけて削り取られたものが・・
これです、以上。フォッサマグナとの関係は分かりません。笑
ここから露頭に行こうと思いましたが、同行者も居なく、心細いんで、こっちからは諦め、先ほどの駐車場に舞い戻りました。こちらもクマ注意ですが、駐車場には4~5台の車が有ります。「どこにも物好きが居るわ」奥さま談。笑
整備された遊歩道ですが、山の中です。心細いですね~。
道すがら、クイズが。あなたはどっち派?
うちらは昔は青いポリだった用の気がしますが、今は赤のポリです。
TVの影響でおにぎりですね。形は三角ですが。
出汁の基本ですか?昆布ではありませんね、ほんだしです。笑
今は西も東もありませんね。TVの影響で全国統一です。若い人は言葉も統一です。
と言っているうちに露頭に出ました。
この大きな溝(フォッサマグナ)を発見した人は、ドイツ人のナウマンです。明治政府のお雇い外国人の一人として来日した彼は、日本の近代地質学の基礎を築きました。親不知にも彼の功績が記されていますし、ナウマンゾウの名付け親としても有名ですね。
これが日本の大地溝帯です。
立ち入り禁止になっていますが、目の前に地球の鼓動が見て取れます。
何処を触ればいいんでしょう?立ち入り禁止なのに。
分かったのは日本を裂いているんではなくて、プレートが隆起している事かな?
プレートの右と左では水質も違ってくるようです。
そして次に行ったのは、そこからまだ山の中に入った塩の道資料館です。
昔から存在は知っていましたが、どうして国道から外れた山の中に塩の道が有るのか?。姫川沿いに上って行けば平坦だし歩きやすいのに。どうして山の中を通る必要があったのか?。不思議じゃありません?
と言うことでやってきました。
この資料館で2時間ほどあ~でもない、こうでもないと話を聞いていたんですが、長くなりますので要約すると。
この前の道は、糸魚川と長野の松本市を結ぶ約120kmの及ぶ街道でした。とくの交易の中心は塩でした。
今見ると、説明板に間違いが有りますね。歩荷さんは座って休みませんでした。一度座ると立てなくなるからです。休んでいる人の左の歩荷さんが杖をついていますね、杖の名前は忘れましたが、手に持つところがT字になっていて、それを荷物の下に置いて寄りかかるように休んでいたそうです。今で言うなら何ハラスメントでしょうか?
運搬した歩荷や牛方と呼ばれる人達は平均45kgもの塩や生活物資等を次の荷受け場まで、1日平均30km担いで歩きました。彼らは宿には泊まれないんです。宿代が掛かりますから。折角の駄賃は家に持って帰らなければ。
山道の30Kmです。平坦な所で言うと60Km位でしょうか?。朝暗いうちに家を出て、行燈の光を頼りに歩き、次の荷受け場まで行ったら汗まみれの服を乾かして、とんぼ返りで家に帰らなければなりません。
中山峠は最大100m、白池周辺では300mもの高低差のある山越えをしたそうです。今では想像もつきません。
説明をしていたおじさんが「奥さん良い体してるから45kgの塩を背負ってごらんよ」と言いますがびくともしません。(あ~今の時代に生まれてよかった)奥様心の声。笑
言い忘れましたが、この建物は近くの豪農の家を移築したものです。
このオジサンが説明をしてくれたんですが「時間はどれくらいあるんだい?」「どれだけでも」と言ったら微に入り細に入り。一緒に説明を聞いていた観光客が「私達はあまり時間が無いんでさッと見ます」笑
この板なんだと思いますか?ソリですって。東本願寺の改修にヒノキやケヤキを各地の門徒さんが運んだんですが、夏に切った木を冬に山から降ろすのに使われたソリだそうです。「皆さんお金になったでしょうね?」の答えが「本願寺さんからお金は頂いていません。お金のある檀家さんが木を切って、庶民は労働を提供しました。
そういやあ、うちの爺さん婆さんはお寺に行く時「おんみゃかし」を持って行っていました。ごいさんの有難い説教を聞きに行っておんみゃかしを上げてきていたと想像します。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
「そういや、越後の国と親鸞さんはとってもつながりがあって、越後の国も門徒さんが多いでしょう」と言ったら15分は説明が伸びました。笑
冬や農閑期は牛を使って荷を運ぶんですが(牛だったら100㎏近く運ぶ)、それ以外は歩荷さんが運びました。峠付近は6月になっても雪が残っているそうです。それでも、歩荷さんは歩きます。生活のため家族のため。
上杉が武田に送った塩もこの道を通ったそうです。険しく敵に襲われにくいこの道が選ばれたそうです。
おじさんは腰が悪く長い間立ってられません。「寒くても歩荷は厚着は出来ないんだよ。荷を担いで歩くと汗みどろになって乾かないからね。乾かなきゃ日帰りが出来ないからだよ」絶対ハラスメントですね。
この家は3階まであります。
ソリは3階まで届いています。
そこから、なぎかま神事の話になり、「信濃の境の神社は諏訪大社直轄でなぎがまを木に打ち付けて天下泰平や国土の安穏、御柱祭の幕開けを祈願しています」そこから、奴奈川姫に話になり、大国主命との間に生まれた建御名方命の話になり
「国譲りの話しで、力勝負に負けた建御名方命は逃れて諏訪大社の神になっていますね」と言うと「よくご存じで」そこから30分、「なぜ、信濃と越後の境にある神社が諏訪明神の管轄なのか、力勝負に敗れた建御名方命は信濃の国から出ることを許されず、海が見える国境の神社で神事を行うことで、懐かしい母の居る信濃の海を見ることが出来たのです」と言うことでした。私達も何時までも止まるわけにはいかないんで、帰ることにしました。塩の道資料館は金曜・土曜・日曜・祝日のみ開館しているそうです。行った日は金曜日、危なかった~。笑
で、着いたのが道の駅うみテラス名立で
雲間から海照らすでした。笑
蒸し暑くてTVを見ていて言い合いです。「あ~もう家に帰りたい」奥様でした。「何言うとるげ、ひと月の旅は始まったばっかりや」笑
1時30分から書き始めたブログは5時30分までかかりました。今から今日の行程を組みますが、寝ている暇がありません。何か工夫しなくては
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