ひでです。お早うございます。今日は行く場所を地図に落とし可視化しましょう。実質6日間で4カ国廻りますから強行軍になりますが、しょうがないですよね。バスで移動する時は寝るんだろうな~。笑
青:飛行機、赤:バスはバスです。バスで国境を超えるのは初めてです。でも、EUの加盟国はシェンゲン協定を結んでるんでパスポートチェックなんてないんでしょうね。なんか残念。知らんけど。笑
それでは、恒例の歴史を紐解いてみます。ここからはつまらい話なんで、面倒くさい人は飛ばしましょう。笑
旧ユーゴスラビアについては、第2次世界大戦以前のことはさて置いて、大戦中ユーゴスラビア王国はナチス・ドイツやイタリア王国などの枢軸国の支配下に置かれていました。
大戦後、ユーゴスラビア王国の領域を元に、チトー大統領の指導の下、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国として独立し、マケドニア社会主義共和国、セルビア社会主義共和国、ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国、クロアチア社会主義共和国、スロベニア社会主義共和国、モンテネグロ社会主義共和国の6つの国家からなる連邦国家として歩き始めました。
最初はソ連を盟主として社会主義国として進んでいましたが、ソ連のスターリンが全ての東側諸国を支配することを望んでいることを知ると、ソ連から距離を置き、中立政策・非同盟運動の中核的な役割を果たしました。
しかし、チトーの死後、共和国内で経済問題が表面化し、それと同時に民族主義が拡大したことによって、各共和国間の政策不一致が進み、民族間の不和と分断、暴力を伴った排斥の流れが進みました。
結果、チトー大統領の下で「兄弟愛と統一」で一つにまとまっていたはずの各民族は、各共和国内の各民族が独立を目指し、戦争犯罪を伴う激しい内戦となり、最終的に北大西洋条約機構(NATO)による軍事介入も行われました。
その結果、各国が独立することになり、現在、かつてユーゴスラビアであった地域には、北マケドニア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロベニア、モンテネグロの6カ国は国際連合加盟国として認められ、コソボに関しては独立したものの、国際連合加盟国として認められず、コソボの国家承認を行っていない国々からは、今もなおセルビアの自治州であるとみなされています。
それでは、代表的な観光地のドゥブロブニク、コトルについて歴史を振り返ります。
ドゥブロブニクについては、「アドリア海の真珠」とも言われる美しい町並みをした世界遺産です。
ギリシャ人によって作られたこの町は、古代ローマ帝国の下でダルマチア属州のラクーザとして海洋貿易によって栄え、古代ローマ帝国が分裂すると、ビザンチン帝国の保護下で都市国家として発展し、アマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアと並んで5つの海洋共和国に数えられました。
しかし、1202年の第4回十字軍の後で150年間はヴェネツィアの支配下の都市国家として、それ以降は自由独立都市国家として、1418年には正式に共和国として、以降400年の間ラグーサは自由独立国として存続・発展しました。
隆盛を極めたラグーサ共和国ですが、1667年に発生した地震で5000人以上が亡くなると言う壊滅的な被害を被り、その後、アドリア海交易の不振と相まって徐々に衰退し始めます。
バルカン半島にオスマン帝国が進出し、敵対するベネツィア共和国との戦いの最前線になりかねない時には、クロアチア本土にある領地をオスマン帝国に売って、ベネツィア軍とオスマン軍との戦いに巻き込まれるのを避けました。
なお、今はこの土地はボスニア・ヘルツェゴビナに属し、ドゥブロブニクとクロアチアを隔てる町ネウムとして、ボスニア・ヘルツェゴビナでは唯一アドリア海の面した街となっています。
その後、1806年にはナポレオンの軍隊に占領され、イタリア王国に統合され、フランスに編入され、オーストリア=ハンガリー帝国に町を占領され、第2次世界大戦後はオーストリア=ハンガリー帝国が新たに後のユーゴスラビア王国となり、以降はユーゴスラビアの所に書いた通りです。
内戦が始まると、世界遺産に登録されている旧市街地は戦争を避けるため非武装化が行われましたが、ユーゴスラビア人民軍に残っていたセルビア人によって砲撃され、7か月の間包囲戦が続きました。紛争終結後は砲撃による旧市街地の損害は復旧が進み、一時は危機遺産となっていましたが、今では対象から外れています。
次は世界遺産の都市コトルです。
コトルも最初は古代ローマ時代はドゥブロブニクと同じダルマチア属州の一部で、中世期には有力なダルマチアの都市国家の一つでした。
1002年、街は第一次ブルガリア帝国に占領され、続いてセルビアに割譲されますが、市民は当時勢力をふるっていたラクーザ共和国(ドゥブロヴニク)と同盟を結び独立を保っていました。
コトルは14世紀に入ると、商業で近隣のラグーサ共和国やヴェネツィア共和国と競ってましたが、1420年から一時期のオスマン帝国支配期を除き、4世紀にわたるヴェネツィアの支配下に入りました。
ベネツィア時代にはオスマン帝国の侵入を防ぐために背後の山にまで続く総延長4.5kmにも及ぶ城壁を築き、鉄壁の守りを固めました。
1797年にオーストリア大公国の支配を受け、それから小刻みに支配者が代わり、後にユーゴスラビアの一部になります。一時はイタリアに併合されますが、第二次世界大戦でイタリアが敗れると、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国内のモンテネグロ社会主義共和国となり、その後は内戦へと続きます。
複雑な入り江となったコトル湾の最奥部にある港町がコトルです。三方を険しい山々に囲まれた要害の地であり、天然の良港でもあったコトルには、古くから多くの交易船が行き交い繁栄しました。往時の名残りが今も見られるようです。
早く行きたいですね~。
関空ですから、朝に家を出れば晩には着くと思います。
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