ひでです。お早うございます。故宮の図面です。分かりやすいだろうと思ってネットからお借りしました。
午門をくぐると目の前は広大な広場です。目の前は太和門ですが残念ながら工事していました。
横の門から入ります。
目の前に見えるのが大和殿です。ここは紫禁城(故宮)の正殿で、明・清両王朝の歴代皇帝の即位式や皇帝の誕生日、結婚など宮廷の重大な式典を行った最も重要な建物です。が、残念ながらここも工事中でした。
横の門から入りました。ここも十分立派ですよね。
保和殿の回廊を進み
途中から大和殿の裏に出て、次の建物は
中和殿です。
すべての皇帝は太和殿での典礼前に、先にここで休憩し、官員の跪拜礼を受けました。
次が保和殿です。
保和殿は科挙最終試験の試験会場になって、試験は三年毎に実施されました。
保和殿の玉座です。
落雷による失火が多かった紫禁城。そのための銅甕も防火設備の一つです
この先にあるのが内廷です。
保和殿の後ろから見たところです。保和殿後ろの石の彫刻は上中下の3つに分かれていて、その中で最も下の石の彫刻の長さは紫禁城中最大の一つです。
きっと皇帝しか歩けなかったんでしょうね。今でも通行止めでした。笑
右に行って九龍壁です。
明・清代に盛んに製作された9匹の龍のレリーフが描かれた壁です。王宮や庭園の門の前に目隠し用の塀として建てられました。
龍は皇帝の象徴です。
寧寿門の雄獅子です。
寧寿門です。
皇極殿が見えますが、そこへ行かず珍宝館へ
秘宝館のように思えますが、ジュエリーホールです。笑
とは言っても、紫禁城には大した宝はありません。愛新覚羅溥儀(あいしんかぐら・ふぎ)を紫禁城から退去させ、蔣介石の国民政府が実権を握ると、清朝の持っていた美術品を戦火から守るため、重要文物を南方へ疎開させました。
上海へ、その後南京へ、日本軍が南京に向けて進軍してきたために、四川省へ、その後第二次世界大戦が終わり、重慶を経由して北京に戻ってきたんですが、共産党との内戦が激化し、国民政府の形勢が不利になったため、中から第一級の所蔵品を厳選して台湾へ運びました。
なので、建物は北京で宝物は台湾でと言うことです。
*その台湾ですが2010年11月に行きました。
話を戻して、北京の宝物です。
養性殿だったかな?
天井の綺麗な建物としか覚えていません。笑
次は暢音閣と呼ばれる京劇の舞台です。
こんな感じで踊っている所を
向かいの建物から見ていました。
楽寿堂へ出てきました。ここは乾隆帝が建設しましたが、後には西太后が60歳を過ぎてから住んだそうです。
楽寿堂の中にいろいろ展示物がありました。これはヒスイの彫り物ですね。
いろいろな玉に細かく彫り込んでいます。
一番有名なのは大禹治水図玉山です。神話の統一王朝「禹」による治水事業を表しています。
続いては、頤和軒です。
ここも中に宝物がありました。
続いては珍妃井です。悲劇の井戸です。
清朝末の光緒帝の愛妾珍妃は、清の改革運動を支持して時の権力者西太后の恨みをかい幽閉されました。義和団事件が起き、西洋人からの凌辱を免れるため、嫌がる珍妃を無理やり井戸に投げ込み殺した。その時珍妃は25歳でした。
約一年後に珍妃は引き上げられますが、井戸の中で腰まで水に浸かり、座ったままの姿で壁に寄りかかるようにして亡くなっていたそうです。
それにしても、こんな細い井戸に落とせます?うちの奥さまだったら途中で引っかかりますけど。笑
まだまだ見てない所も沢山あるんですがこれで紫禁城は終わりです。戻って次の所へ行きます。
ここは愛新覚羅溥儀がラストエンペラーで自転車で走り抜けるシーンが思い出されて、自転車に乗る奥様です。
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