ひでです。お早うございます。上山城は5月13日に行ったお城です。
場所:群馬県
城主:里見氏→最上氏→松平氏→蒲生氏→土岐氏→廃城
石高:2万5千石
別称:月岡城
来歴:上山は羽州街道と米沢街道の分岐点にあるため交通の要衝として最上氏と伊達氏が衝突を繰り返したところです。上山は古くから羽州探題の最上氏の一族の里見氏が治めた所で、上山に城を造ったころから上山氏を名乗りました。
(昭和になって二の丸跡に模擬天守が作られましたが、昔の城の面影はないと言われています。)
関ヶ原の戦いでは東軍の最上氏と西軍の上杉氏が戦い、戦巧者の直江兼続が押し寄せましたが、撃退しています。
江戸時代になり最上氏の城となりましたが、最上氏がお家騒動で取り潰され、その後に松平氏が入城しました。
(模擬天守は資料館になっています)
その後、何代か城主が交代し、土岐氏が城主になった時にお城は大改修され、羽州の名城とまで言われるようになりました。
土岐氏が国替えになった際、小国にしては城が立派すぎるとして、幕府の命令で廃城になったということです。その後、上山藩は色々城主を変えますが、城は再建されず明治を迎えました。
城主が土岐氏の時に沢庵和尚が配流になって上山にくるんですが、土岐山城守頼行は庵を造り沢庵に与えました。配流中頼行は、藩政への助言を仰ぐなど、沢庵を実の祖父ののように慕い、沢庵が許された後も二人の交流は続いたといいます。
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