ひでです。お早うございます。今は道の駅たかのすにいます。なんと目が覚めると5時です。昨日は0時半に起きたんで、8時間も眠ったんだとびっくりしました。

あきた港にはポートタワーセリオンがあり無料で昇れるんですが、高所恐怖症なもんだから昇りませんでした。なんと、もったいない話です。笑

近くにあるフェリーターミナル。フェリーが接岸していました。れに乗れば苫小牧までひとッ飛びですがお高くて。

まずやってきたのは秋田城址です。いや、秋田の柵って言った方がいいかな
ご想像通り、ここは奈良・平安時代の蝦夷対策の最前線です。詳しい内容はまた今度。
歴史資料館で沢山お勉強して、男鹿半島を目指していたらなまはげがお出迎えです。悪い子はいねが~
そこから寒風山を上ります。
いやいや、結構凄いんです。まるで函館山のような光景です。函館山はくびれが写真に納まるんですが、ここは大潟村があって収まらないんです。
最上部の回転展望台です。周りを見るだけなんで入りません。
回転展望台のすぐ下です。ここは標高は高くないんですが、風が通って寒・風・山でした。
火山だった名残が分かります。
阿蘇のようなカルデラと外輪山ですね。車が豆粒のように見えます。
こちら側は内陸の方です。
こんな感じなんです。

一段下の駐車場には何かの碑が

この人の碑かと思えば、全然違いました。

万世一系の人の碑です

お昼ご飯は寒風山の下にあるかっぱ寿司で。良い所にあるんです。笑

続いていったのは、道の駅大型に併設された干拓資料館

大潟村の干拓の歴史です。

大潟村はコメの増産を目指して八郎潟を干拓してできた村なんですが、完成したころはコメが余っている状態で・・・

学芸員のような人に「大潟村は国の言うことを聞かずに米を作っていると昔聞いたような。それに引き換え、同じく米を作る目的で干拓した河北潟は国の方針に従い米作りはしていません。ちょっとおかしいんじゃありませんか?」

「ああ、減反政策のことですね。実際従わないでコメを作る人もいました。そんな人は供出できなくって自分で販売をしなければいけないペナルティーがありましたが、今では自由に米が作れるんでほっとしていますよ」

(大潟村は一人当たりの反収が多くて、価格競争力があるんで関係ないですと聞こえますが)

「自由化になったとはいえ、コメ余りは変わっていません。国の方からは相変わらず減反目標が来てると思うんですが?」

「大潟村でも転作して出来るだけ国の方針には従っていますよ。でも、コメ余りの時代がそこまで来ているのに、それでも干拓を推し進めた国にも問題があると思うんですよ。結局ひどい目に合わされるのは農民なんです」

一理あると思います。農民は国の政策に翻弄されています。お国の偉い人も裏金作りなんかしていないで真剣に考えてください。皆さんももっとコメを食べてください。

昔吃水湖だった八郎潟は、技術者の知恵と努力で

大潟村へと変貌しました・・・どこかで見たような形ですが?

これが石川の河北潟干拓地です。同じような感じでしょ?

(ちょっと見にくいんですが、ネットからの借り物なんで)

大潟村も昔は泥田でトラクターが良く亀になったそうです。うんうん。同じ同じ。

(ここのトラクターはキャタピラーを付けてもカメになるんですね。私のところはトラクターさえ入れる気にはならなかったです。泥田自慢か。笑)

なので、こちらでも手植えをしていたところも沢山あったそうです。田んぼが大きくて苗の補充に船を引っ張ってたんですね。

「あそこに見える小高い丘は何ですか?」「砂丘です。風と波の関係で砂州のようになっていて小高い丘になっています」「同じです。河北潟にも権現森と言って砂州に小高い丘ができています」

なんて色々話していたら時間をくってしまいました。笑

温泉博士で無料の温泉へ入って

近くのかっぱ寿司で(また寿司かい)

晩飯を食い・・・今日の温泉でこれまで最高の体重を表示しましたが、あれはきっと体重計が壊れていたんだと自分に言い聞かせて・・・ビールを3杯も飲みました。笑

そこから5分の道の駅です。今日は126km走破です。

北海道へ渡るフェリーを予約して・・・どうしても運賃が安い青函フェリーになってしまうんですが・・・本日終了です。

 

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