ひでです。お早うございます。今は道の駅あきた港にいます。港だけあって、夜中の間中機械の音がしますが、トラックほどじゃないんであまり気になりません。
さて、昨日は以前から行きたかったところに向かって、日本海を目指します。
途中にあった道の駅とざわです。何故か韓国風。
そこにいた韓国人の4人です。道の駅にハンコを押しに行くと「トイレはこっち。女性が右で男は左」と教えてくれました。
写真を撮ってあげると、女の人が「この3人は観光客なの。私民泊してるから、韓国の人が良く来るの」。(一体ここへ来てほかに見るものはあるんだろうか?。心の声)一人一人は良い人なんでしょうが集まると・・・
日本政府も固有の領土なら、竹島の歌を作って韓国のアイドルが出稼ぎにきたときには歌ってもらったり、教科書にもちゃんと日本の領土だと明記して竹島の時間を作らないとだめですね。
そこから、左に出羽三山を見て
右に鳥海山でしょうか?を見て
ここまで100km。結構遠かった
やってきたのは白瀬南極探検記念館です。隊長の白瀬矗がにかほ出身なんでここに記念館があります。
受付で「差し支えなければどこからですか?」と聞くんで「石川からです」と言うと、「奇遇ですね。探検隊の船長も石川の方なんですよ」「へ~それは知りませんでした」とびっくりです。ここにも石川の先駆者がいました。
今度は羽咋の歴史博物館に行ってみよう。
矗のことより野村船長が気になりました。笑
Wi-Fiをつなごうと四苦八苦していると「このパスワード。白瀬隊が大和雪原で無念の帰還をした日なんですよ」
「へ~知りませんでした」
日本で初めて南極を目指した偉人です。シュリーマンのような不屈の精神を持った人です。
時は、南極点の初制覇を目指し、3隊がしのぎを削っていました。
初制覇に成功したノルウェーのスコット隊。主力は犬ぞり
制覇しながら全員が死亡したイギリスのアムンゼン隊。主力は馬と雪上車。でも、どれも南極の厳しい自然の前には無力でした。
それから白瀬隊の開南丸です。たった200トンの18馬力の補助エンジンを載せた帆船です。
こんな板切れのような船で南極を往復したなんて、奇跡のような話です。ずっと後で、10倍も有る南極観測船宗谷が氷に閉じ込められてロシアの砕氷船にいつも助けてもらっていましたから。
それもこれも優秀な船長のおかげですね。さすが石川県人。笑
でも、スコットやアムンゼンと決定的に違うのは、彼らが国費で探検したのに対し、白瀬隊は今でいうクラウドファンディング。つまり寄付や自腹で探検したことです。なので、最後には今のお金で約2億円の借金を背負い、南極から帰ってからは借金返済に追われたんです。
職業、住むところを転々として、自力で返済を終えたころには探検から20年以上たっていました。
なんといっても彼らが気の毒なのは、白瀬隊は南極点どころか南極大陸にも上陸していなかったことです。大和雪原って氷の原ですから。
オーロラを見て
どれが南極の氷でしょう
もうお分かりですね。南極の氷に触れたり
日本隊が初めて南極点に到達したときの除雪車を見たり
このランタン、コールマンです。私の寝袋もコールマンです。笑
南極のお勉強をしていたら
2時間近くもたっていたんで、お昼は車内で。
奥様は冷凍の日清焼きそば・・・焼きそば好きですね~。
私はイオンのチキンライス。
それから、久保田城で100名城のハンコを貰い
やって来たのは道の駅あきた港です。確かこのそばに「NHKドキュメント72時間 秋田 真冬の自販機の前で」に出ていたレトロ自販機があるはずですが・・・
うろうろ探していると、放送当時に自販機があった「佐原商店」は2016年3月に惜しくも閉店したんですって。その代わり、今は道の駅あきた港に場所を移し、営業を再開していました。
当時佐原商店の店主だった佐原さんも、道の駅スタッフとして勤務して、自販機のメンテナンスを担当しているようです。(佐原さんです)
なんか前はもう少し安かったような・・・まあ、いいか
味は・・・昭和風情漂うって感じでしょうか?。高校の時食べた金沢駅のホームの中にあった立ち食いそばの味を思い出しました。50年も前の話です。昭和ですね~。笑
こうはここまで
179kmも走りました。田舎道なんでリッター12.8まで伸びています。誤差があるんで、本当は12くらいでしょうね。
よかったらポチッとお願いします。
↓ ↓ ↓