ひでです。お早うございます。私の実家は内灘町という金沢の隣の町で、前を河北潟と後ろを日本海に挟まれた大きな砂州で、金沢から千里浜まで続く日本一長い(と自分では思っているんですが。笑)内灘砂丘の上に町はあります。
北海道のサロマ湖にある砂州の大きいのですね。
今では干拓や埋め立てで、汽水湖だった昔と比べ5分の1くらいに面積は減って、淡水湖に近くなっています。
私の御幼少のみぎりは、少し大雨が降ると河北型が氾濫し家の前が水浸しになりました。なので、私の家は前の道から見ると1m以上高くて、水はつかないんですが、モータリゼーションが発達すると車庫が作れず不便でした。
簡単に言うと昔は山城でしたが、近年は平城になってきたって感じ。
潟が近いおかげで、泥田で機械が入らなかったんで、干拓すむまで田植え・稲刈りは手でしていましたし、家の周囲を掘ればすぐ水も出て、掘り抜き井戸で簡単に水を求めることができました。
私は良く釣瓶井戸の話をしますが、掘り抜き井戸は水道代も電気代もいらないので貧乏人にはうってつけだったんです。
でも、この間の能登半島地震では能登でもないのに大きな被害を出してしまいました。原因は液状化です。揺れで建物が倒壊したんじゃなく、液状化で地面が揺れ隆起・陥没を起こし、建物がゆがんで使い物にならないという被害です。地面の形状が変わるので水道管も断裂し、水道が止まってしまいました。
あれから2か月以上たって、集落に行けるようになっれいますので訪ねてみました。
8番らーめんは駐車場も建物も使い物になりませんね。
実家の集落の前は主要地方道ですが通行止めでした。御幼少のみぎりは道路から右側は全部潟でした。うちらは方言で「なんさ(渚)」と呼んでいた波打ち際でした。
ところが、見てわかるように大きな被害が出ているのは、ほとんど左側、昔から家のあったほうなんです。右側も被害は出ていますが、私は大きな被害は昔の潟の上だと思っていたので驚きでした。
(左の建物が傾いているでしょ)
集落の中を通っている道を歩いていると、電柱は傾いているは
宅地の全体が浮き上がっています。きっと家の中はゆがんでいるんでしょうね。
おばあさんが歩いていたんで「えらいことになったね~」と声をかけると、「どこの人や」というんで「○○(屋号)のおじや(次男・3男坊」というと、安心したように「おいね。びっくりしたわいね。見た通りや、ほとんど使えんようになってしもて」
「ほれにしても、潟の方の被害が少ないみたいやけど」というと「ほんとに、ほうや。わたしたらも不思議やわ。ほやけど、こんなことになったがんは初めてやわいね」
本当にこんなことになっているのを見たのは初めてです。今までいくつも地震にあっていますが、こんなひどい液状化は見たことがありません。
同級生の家も外見は何ともないんですが、危険住宅に判定されています。壊すしかありませんね。彼らは今どこに住んでいるんでしょうか?
ここも危険住宅です。壊すしかないようですね。
お宮さんの鳥居は崩壊していました。
ほんの少し足を踏み入れただけですが、被害を受けなかった建物は皆無でした。
ここが昔のように戻るには、どれだけの歳月とお金がかかるのか見当もつきません。ここもご多分に漏れず高齢者集落です。今更借金をして家を建て替えるでしょうか?。
地震保険に入っている人は少しは足しになるでしょうが、普通の火災保険だと保障されませんね。
ここの年寄りたちはアパートか施設か。アパートは住んだことはないので隣の音が気になりますね。施設も年金で入れるところがあるのかな?
いずれにしても何年もこのままだろうな。皆さんからの義援金は内灘の人にも届くんでしょうか?ここ間、能登の人には一人当たり○○円とか言っていましたが、内灘の人もまぜてください。
そう思っていたら北國新聞でこんな記事が。少しでも皆さんが喜んでくれればいいんですが。
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