ひでです。お早うございます。ラール・キラーとも呼ばれるデリーにあるムガル帝国のお城です。赤砂岩で出来たお城なんでレッドフート(赤い城)と言われるようになりました。これが2つ目の世界遺産です。
ムガル帝国5代皇帝シャー・ジャハン(この名前は以降もよく出てきますよ)が首都をアグラーからデリーに移し
またこの城は、セポイの乱のときに戦場となり、大半が破壊されてしまいました。現在の姿は、破壊をかろうじて免れた部分のみなのです。
緑の所はお堀です。日本の城より狭いですね。
セポイの乱の後、城はイギリス軍の駐屯地として接収され、兵舎が建設されるなど、城内は大きく造り替えられました。インドの独立後もインド軍の施設として使用されていますので、全部が見れるわけではないそうです。
正面からぐるっと回ってセキュリティを通って・・・「これは何だ」と言われ(たような)んで、必死に「モバイルバッテリー」と言っています。「これは」「マニーです」笑
セキュリティは男女別なんで奥様に頼るわけにはいきませんでした。インドのセキュリティーはどこでも男女別でした。
入口へ。左は堀です。
ラホール門と言われた正面です。
赤い城。立派!
ラホール門の中にはチャッタ・チョウクと言うバザールがありました。利用できるのは女性だけ。王は好みの女性をここで見つけて・・・笑
今は土産物屋が並んでいます。
広い城内ですが、緑と白塗りの所を回ります。
ナッカル・カーナと呼ばれる、時刻や王族の帰還を知らせる音楽が奏でられた中門をくぐると
くぐってから振り返りました。反対がわは大理石ではないんですね。建物の中から後宮の女たちが眺めたそうです。
ナッカル・カーナの先にはディワーニ・アームと呼ばれた謁見の間が見えます。
一般庶民(と言っても相当な身分でなければ来れませんね)が王と謁見しました。
もう王はいませんので、世界遺産の城にタッチです。笑
その先にはサワン・パビリオンと言ってここで歌舞音曲が開催されていたようです。(さっきの図をグーグル翻訳で見てください。位置関係が分かります。笑)
その先にはザハル・マファルと言って王の部屋がありました。そこは池の上に建ち、暑いデリーで少しでも涼しくという工夫だそうです。
その向こうの建物は後宮の女性が歌舞音曲を楽しむ場所だそうです。王の部屋のせいで見えないのでは?
行くところどころに説明書きがあり、ガイドさんはこれをもとに説明していました。
グーグル翻訳があれば私にもできます。笑
マハムだったかな?
モーティー・マスジドという6代皇帝の建てた大理石のモスクもありました
6代皇帝は信仰心が篤すぎて、イスラム教以外を排除しようとしました。
そのことが外部のラージプート族など、ヒンドゥー教徒などの反感をかって攻められたりしたので
最大の版図を誇った王でしたが、崩御後はムガル帝国は衰退の一途をたどりました。
広い城内を歩きくたくたです。日ごろの運動不足がたたっています。
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