ひでです。お早うございます。折角インドへ行くんで、歴史を学びましょう。これは奥様に提出した表です。奥様も勉強しくれるよう願っています。知ると知らないのでは雲泥の差が出ますから。

赤字が今回行くところです。

年 代

北インドの出 来 事

遺  跡+(他国の出来事)

BC2600年頃

BC2400年頃

BC1500年頃

 

 

インダス文明の成立

 

中央アジアのアーリア人がインドに進出

(ギザの3大ピラミッド)

 

ハラッパー、モヘンジョダロ

 

 

BC700年頃

 

BC500年頃

バラモン教とカースト制度が出来る

古代16王国の成立、仏教・ジャイナ教の成立

(ツタンカーメン、ラムセス2世の頃)

BC約530年、僧として放浪していたシャカ・ムニが悟りを開いたとしてマーハボディ寺院を建築(今と別)

BC326年

 

BC300年頃

 

BC250年頃

 

 

 

BC 186年頃

 

 

北インドにチャンドラグプタがウマリア朝を立てる

アショカ王が即位する

 

 

 

ウマリア朝の崩壊

(アレキサンダー大王のインド遠征)

(ポエニ戦争でハンニバルが活躍したころ)

・アショカ王仏教に帰依、ブッダガヤに菩提樹を植える

アショカ王の石柱を立てる

・アショカ王、サールナートにダメーク大塔を建てる

BC100年頃

 

 

DC100年頃

 

DC150年頃

イラン系民族が侵入

 

 

イラン系クシャーナ朝が成立

カニシカ王の即位

アジャンター石窟群が作られ始める。DC600年頃まで続く

 

 

ガンダーラ美術の隆盛

DC320年頃

 

 

 

チャンドラグプタ1世が中央インドにグプタ朝が成立

ヒンドゥー教の成立

415年にデリーの鉄柱が作られる

5世紀からエローラ岩窟群が作られ始める

DC600年頃

 

DC700年頃

ガンジス川周辺にヴァルダナ朝の成立

諸王朝に分裂

玄奘三蔵がインドに来る

仏教が衰退し、ヒンドゥー教が隆盛

711年

 

 

 

1148年~

 

 

1206年

 

1290年

1320年

1398年

 

1414年

1451年

 

イスラム教のウマイヤ朝が北インドに侵入

 

 

北インドにトルコ系イスラム教のゴール朝が出来る

ゴール朝のアイバク将軍が奴隷王朝を設立

ハルジー朝が成立

トゥグル朝が成立

イランのティムールが侵入

サイイド朝

ローディ朝

 

9世紀にチャンド・バオリが作られる

10世紀からカジュラホー寺院群が作られる。

イスラム教の伝播

 

 

・アイバク王クプトゥ・ミナールを建設

 

 

 

 

 

 

 

1500年頃

1510年

シーク教の成立

 

 

ポルトガルがゴアを占領

1526年

 

1539年

 

1555年

 

 

1565年

 

 

 

1639年

 

 

 

1674年

 

 

1679年

 

 

 

 

 

1706年

 

 

 

 

(1757年)

 

(1767年)

 

1775年

 

 

1845年

 

 

1857年

 

 

1858年

バーブル帝によりムガル帝国が成立

アフガン系イスラムのスール朝が支配

ムガル帝国が返り咲く

・首都はデリー

 

皇帝アクバルがアグラー城を建設。

 

 

5代シャー・ジャハン

 

 

 

ヒンドゥー教のシヴァージーがデカン高原にマーラータ王国を建設

ラージプート諸王朝・シーク教徒・ヒンドゥー教徒(藩王)の反乱が相次ぐ

ムガル帝国がマーラーター王国を壊滅寸前まで追い詰める

マーラータ王国が各地のヒンドゥー教に属する諸侯と同盟を結成し復活

 

 

(イギリスがプラッシーの戦いでフランス軍を破りインドでの権力を握る)

(イギリスはマーラーター戦争でデカン高原を征服)

このころにはムガル帝国はイギリスの傀儡

イギリスはシク教徒との戦いを制しパンジャブ州を征服

セポイの乱によって有名無実だったムガル皇帝が一時復活する

ムガル帝国が滅亡し、イギリスのビクトリア女王のよるインド帝国が成立

引き続きイスラム教の時代

ムガル帝国、一時イランのサファヴィー朝に亡命

 

イスラムとヒンドゥー教の融和を図る

・イギリスがチェンナイに商館を設立

1592年ヒンドゥー教の藩王がアンベール城を建設

・シャー・ジャハン、アグラーにタージ・マハルを建設

・シャー・ジャハン、デリーにレッド・フォートを建設

 

 

 

・フランスが商館を設立

・イギリスにゴアを割譲。イギリスはカルカッタに商館を建設

 

 

・1727年ラージプートのジャイプール藩王、宮殿としてシティ・パレス、天文台を建設

イギリスはマイソール戦争で南インドを征服

 

 

1799年ラージプートの藩王サワーイー・プラタープ・シングによって風の宮殿が建設

 

 

 

 

第一次世界大戦で戦死した兵士記念碑としてインド門を建設

 

後、問題はチップなんです。普通のツアーだとチップが含まれているんですが、私たちはガイド付きの個人旅行なんで、その都度チップが発生します。

元来インドにはチップと言う習慣はなかったんですが、イギリスの植民地だったことと、このごろでは西洋からの観光客が増えてきたんでチップが一般的になったそうです。旅にかかわる人たちがチップを当てに仕事をしているそうです。面倒くさいですね~(本来仕事に対する対価は料金で支払われるんですがね~?)

旅行会社に「チップはどんなもんですか?」と聞いたんですが

【ホテル・レストランにて…】

・ピローチップ(枕銭)…50ルピー

・ルームサービス‥‥20ルピー

・ホテルのボーイ(ポーター)…30ルピー(一人ずつ)

・レストラン合計に対し…7~10%位

・列車内の食事のボーイ…20ルピー~

【観光にて…】

・ガイド…送迎のみの運転手兼アシスタント片道200ルピー

1日ガイド(スルーガイドも含みます)1000ルピーが目安(いずれも1グループあたり)

・送迎・観光時のドライバー…片道150ルピー、1日 300ルピー

・アンベール城の像使い…100ルピー~/お一名様

・ガンジス河でのボート…100ルピー~/お一人様

・観光地での靴の管理※…10ルピー~(お一人様)

・駅のポーター         …50ルピー~/お一人様

・観光地のトイレ利用…10ルピー~/お1名様

ざっと計算すると2万ルピー=4万円くらいになります。

こんな沢山必要なんだって。ただでさえお高い個人旅行なのにチップってこんなに必要なの?。チップに気を使っているうちに旅が終わってしまいそうです。笑

 

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