ひでです。お早うございます。知覧城は5月10日に行ったお城です。
場所:鹿児島県
城主:島津氏(佐多氏)
石高:
別称:なし
来歴:そもそも、島津氏は古くから鹿児島に根を張り、一度として鹿児島の支配を譲ったことがないため、旧来からの外城による支配体制を続けていました。
外城とは領内を細分化して、各地に領主を置き、その周りに武家屋敷を配置して各地の領主に治めさせる制度です。細分化された区画は100以上あったと言われています。武家屋敷では知覧の武家屋敷、入来の武家屋敷が有名ですね。
しかし、江戸時代になると幕府が一国城令の時はどうしたんでしょうか。みんな壊した?。水戸黄門を見ていても巡検使がよく出てきますが、江戸から遠く離れた薩摩には幕府の目も届かず、巡検使に袖の下を渡して廃城を免れていたんでしょうか?。
その外城の一つが知覧城です。ここには足利尊氏から領有が認められた島津氏の庶流の佐多氏が治めていました。
(赤線が歩いたところです)
知覧城を構成する曲輪は、シラス台地と侵食谷を天然の空堀として独立性の高い作りになっていました。
さあ、駐車場に車を止め行きましょう。
曲輪の間の
空堀を進みます。
シラス台地で掘りやすいんでしょうか第二次世界大戦の防空壕も作られていました。
前の山を上れば蔵之城だったかな?
右の山を登ります。
登ると言ってもわずかですが。でも、段と言ってもすっごいの。
登っていくと
本丸の枡形虎口が見えました。
知覧城に到着しました。
ここには政庁や領主の館があったようです。
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