ひでです。お早うございます。そろそろいつものブログに戻りましょうか。津和野城は4月22日に行ったお城です。
場所:島根県
城主:吉見氏(大内氏→毛利氏)→坂崎氏→亀井氏
石高:4万3千石
別称:三本松城
来歴:鎌倉幕府を開いた源頼朝の血縁が西岩見の地頭として吉見氏を名乗り築いた城が津和野城と言われています。
その吉見氏は仕えていた毛利氏が西軍だったために、関ケ原の戦いで領地を没収され、後に入ったのが坂崎出羽守直盛です。
(リフトに乗って上がります)
坂崎直盛は西軍宇喜田秀家の従兄ですが、関ケ原の前には秀家とは不仲で、宇喜多家で御家騒動が起こった際に家康に与したようです。
(出丸までに堀切がありました)
関ケ原の戦いで功を上げ津和野城を立藩しました。
(本丸に行く前に出丸がありますので上がります)
(出丸と言ってもたいそう立派な遺構が残っていました)
ここからは諸説ありますが・・・・時は大坂夏の陣の時、大阪城は落城寸前です。中には可愛い孫娘の千姫が取り残されています。徳川家康は皆に言いました「千姫を助けた者には千姫の婿にする」と
(こんな山奥に来ている人もいます。物好きな。笑)
(出丸からは津和野の町が一望です)
それを聞いた坂崎直盛は美人の誉れ高く、将軍の娘が我妻になれば、両手に花だと思って助けようと心に決めました。
(下って、本丸に向かいます)
(いよいよ本丸です)
燃え盛る業火の中、首尾よく千姫を助け出した直盛ですが、顔にやけどを負ってしまいます。
(仮設階段が見えます)
(東門に来ました)
そのやけどを見て千姫が嫌がったかは分かりませんが
(右へ行けば馬立場です)
直盛には千姫は再嫁せずに、その代わり直盛には1万石加増され4万石が与えられました。
でも、千姫が忘れられない直盛は
(右の天守に向かいます)
(天守下に来ました)
天守台に着きました。でも、天守台より高いところがあります。そこへ行きましょう。
(天守台より高い三十間台です。)
千姫が姫路新田藩主の本多忠刻との縁組が決まったため
(広い三十間台ですね。)
千姫を奪う計画を立てたますが
(街が一望です)
(人質郭から三の丸です。)
この計画は幕府に露見していました。幕府方は坂崎の屋敷を包囲し、直盛は家臣に討たれてしまいます。
そのせいで、坂崎家は断絶します。
(太鼓丸を通って帰ります)
その後、津和野藩には旧尼子家臣の亀井氏が入り明治まで続きます。
(さっき素通りした馬立・台所を回ります)
(これはどこにあったかな?吉見氏の築いた山城の図です)
全て見終わって、リフトで帰ります。なかなか見どころの多い城跡でした。
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