ひでです。お早うございます。箕輪城は2月8日に成田空港へ行く途中に行ったお城です。その時、写真を撮ったカメラをドバイ空港で忘れてしまって写真が有りません。謹んでお詫び申し上げます。
ここへは2度目の訪問なんですが、100名城なんでハンコを頂かなければいけませんので再訪しました。
場所:群馬県
城主:長野氏
石高:
別称:
来歴:長野氏は在原業平を祖とし(きっとウソです)、群馬の方の豪族として昔から活動していました。
その長野氏の名を轟かせたのが業政です。業政は主君である関東管領の上杉憲正(後に管領職と上杉の姓は後年謙信に譲られた)への忠義を貫き北条氏や武田氏から上野(群馬)を守り抜いた忠臣と言われています。
業政は周辺の豪族を取りまとめ”箕輪衆”と呼ばれる集団を組織し、その中でも長野16槍と呼ばれる豪傑の中には、新陰流の創始者で剣聖の上泉信綱も居て、信玄をして「業政が居る以上、上野を攻め落とすのは不可能だと」言わしめ、信玄が何度攻めかかってもことごとく撃退していました。
しかし、業政も寿命が尽き死んでしまいます。これを好機と信玄が攻め込みます。後を継いだのが3男の業盛です。信玄は2万以上の軍勢で各個撃破で周りの城を落とし箕輪城を丸裸にし、孤立させました。
業盛は16槍とともに果敢に戦いますが、付け城も落城し、他と連絡の道も途絶える中で、小競り合いが起こるたびに徐々に籠城の兵も減ってしまい、それでも3日に亘って猛攻をしのぎましたが、多勢を持って攻める武田軍に押され、一族郎党、生き残った者とともに自刃して果てました。
巨大な城跡なんで全部か回ると半日以上かかります。この時は地図で緑色の道を本丸まで進みました。
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