ひでです。お早うございます。今は道の駅高岡ビタミン館に居ます。雨はひどくないんで様子を見ながら観光することにしました。
先ず行ったのは、道の駅つののお隣にある都濃神社。
道の駅には石持ち神事に使う石が置いてありますので
それを貰って出発します
傘をさして出陣です
驚いたことに手水鉢の所に自祓い所と言うのが有りました
祝詞を奏上しながら自分を祓います?
この天つ国(高天原族)の真っただ中なのに、御祭神は中つ国(日本)を代表する大国主命って変じゃないですか?。通りかかった神主さんに聞いてみました。「変じゃありませんよ。どちらも伊弉諾尊から生まれた神が祖先ですから問題は有りません」との事。?(そんな親戚なら国譲り(いい言い方をしますが、結局武力で出雲族を征服した)と言う暴挙に出たのはなぜですか?。心の声。話すと長くなるんで)
神社にお参りして
つつがなく石も納めて
向かったのは高城跡
ここは大友軍と島津軍との力関係が変わったターニングポイントの城です。その話はまた今度。
それから向かったのは持田古墳群の近くで
お茶の摘み取りの真っ最中でした。茶畑の中に古墳が有ります。
またまた大きなキャブコンでは来れない道を行くと
ど~んと現れる奇妙な石像たち
ここは高鍋大師で高鍋の街から日向灘を一望出来ます
石像にはつたない説明が書かれているんですが?
ここも古墳です。
高鍋大師のいわれです
その日は観光協会さんが撮影をしていました
これが噂の「みとコモン」です。笑
野仏風のものもあって、まかなか楽しい所でトイレも最新式なんですけど夜は気味が悪くて、車中泊には向きません。笑
そこから行ったのは、高鍋城址です。福岡の秋月が秀吉に敗れて、娘のお陰で首をつないだあの秋月です。詳しい話はまた今度。
濡れた草の上を歩きます。足はベチャベチャです。
資料館は撮影禁止で。でも、上杉鷹山は秋月に養子に行ったこと、平民の嫁いだとばかりい持っていたサヤコ様の相手の黒田さんは秋月にゆかりのある人だって。やっぱりド平民ではダメですね。笑
ちかくにあった水琴窟は良い音を出していました。
今日はマックでお昼です。もちろんお食事券です。
宮崎と言ったら西都原古墳ですね?
でも、侮っていました。ここは1日では回れません。
ガイダンス施設のおばちゃんに「1~2か所みたいんですが、どこが良いですか?」と聞きますと、出してくれたのがこれ。「赤丸の古墳を回ればどうでしょう」「なぜ西都原に遺跡が集中しているんですか」との問いに「絶対では有りませんが、戦乱の続く中国を逃れた権力者の一族が、北九州では強い部族が居たので上陸できず、豊後水道を南下して、川に沿って上ったのが高千穂で、そこは自然条件が厳しく、別の川を下った所が温暖な西都原だったという事になります。そうすれば、高天原を出たニニギノミコトが西都原に着いて、その後神武が新しい土地を求めて船出した。辻褄が合いませんか?(辻褄は合いますけど・・・じゃあ天皇は?
難しいことはさておき、先ずは円墳から
中に入れます。
続いては、前方後円墳です。
発掘された当時を再現しています
中に入りましょう
今年、古墳の中に入るのは、ピラミッドに次いで2つ目です。笑
エジプトと違いミイラになって生まれ変わるという宗教観が無いんで、人骨は風化したのでしょうか?
古墳の群落の中を
博物館へ来ました。
展示の仕方が難しく、あほには分かりません。最後に受付のお姉さんに「もっと分かりやすくして下さい」と頼んだほどです。
展示した物の事実だけを説明していて、そこから出る可能性とかを排除したようになっていて、「ふ~ん」だけでそこから派生する「なるほど」が無くて面白くは有りませんでした。
と言っても、古墳に2時間以上いたんで、当初の人吉からえびのルートへ行っている時間が無くなりました。という事で、近くの「さいと温泉」でお風呂を頂き
道の駅高岡ビタミン館に着いたのは
6時でした。あまり走れませんでしたね。本当は人吉までで満充電にしたかったんですが。
海周りで宮崎を回ることになりますが、
これからもっとお天気が悪くなるようです。太陽には頑張ってもらいたい。笑
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