ひでです。お早うございます。昨日は、ブログを書いて、予定を立てている時は雨は降ってなかったんですが、ご飯の用意をしていたら雨が降って来まして、一から予定の組み直しでした。でも、お昼からは晴れて来そう。

という事で、先ずは、雨を避けて建物の中の観光に国友鉄砲ミュージアムを選定

車を止めると側溝の蓋まで火縄銃でした。

種子島に伝来し、堺・国友が国産の火縄銃づくりを初め、戦いの様子が一変したと言われています。

なぜ国友が鉄砲を作ったんでしょう?鉄を鍛えるんだったら備前?いえいえ、もっと近くに関と言う刀鍛冶の里もあっのに。

奥様は「私興味が無いし」と車で読書三昧です。歴史って色々なパズルで出来ていて、火縄銃も大事なピースだという事が分からないんでしょう。歴史を語るのはまだまだですよ奥様。笑

沢山の火縄銃、作る時の道具が展示されて面白かったです。

秘伝の書まで有りました。何故裸で書かれているのか?。着物を着ていれば手の置き方とかが分からないためだそうです。成程!

国友と言えは一貫斎ですよね~。久留米の儀右衛門、平賀源内、華岡青洲など多士済々に渡りますが、国友と言えば一貫斎なんです。笑

反射望遠鏡を作り、土星に輪があることや、太陽の黒点があることなど、日本人で初めての事を幾つも成し遂げています。

幕府からの要請で空気銃を作ったり

庶民のためにネズミたんけい(ロウソクの代わり)を作ったりしました。

そんな国友でしたが、江戸中期になると幕府からの鉄砲需要が無くなり(嬉しいことなんですが)全国の有力大名が召し抱えることになります。

知りませんでしたが、我が石川にも来ていました。寺町に墓があるそうです。今度行ってみよう。

そして、火薬関連から花火師になる人が居たり、金具師は曳山細工を手掛けたりしていました。

明治になると宮田製作所(今のミヤタサイクル)から技術を学びに来たりしていたそうです。

最期に、受付の方に「なぜ国友が鉄砲づくりをしたのか。琵琶湖で砂鉄が取れたとか?。関にはいい鍛冶屋が沢山いたろうに」と聞いてみました。

受付の方は「私も詳しくないんですが」と前置きしながら「琵琶湖では砂鉄はとれましたが少量で、鉄は出雲から入れていました。関の刀鍛冶はいたんですが、きっと飛び道具に対してのプライドもあり、刀の方も忙しいので引き受けなかったんじゃないのかな?。国友は琵琶湖の砂鉄で野鍛冶が盛んでしたので用命が下ったんだと思います。成程~

という事で街歩きに出ます。

出で立ちは、雨にぬれても万全な突っかけです。笑

至る所に鍛冶師の屋敷跡が

今でも住んでいる方も居ましたが、表札の変わった家も多くみられました

国友一貫斎の家の跡です。

今でも國友さんがお住まいでした。広い敷地に多い建物。管理が大変だろうな~。うちの奥様だったら「住んでない所を壊してアパートでも立てれば?」と言うと思いますが、こんな所に入居する人は少ないでしょう。

色んなモニュメントが有ったり

宗範の屋敷跡だそうです。

司馬連太郎の碑があったり

鉄砲の神様を祀った神社があったり

ネジ発明の地ですって。種子島では日本に無かったネジを聞き出すために娘が差し出したとか言いますが、国友へは鉄砲は来ましたが作り方の細かいところまでは伝来しなかったようです。

薩摩に来た火縄銃が幕府に献上されて、守護だった京極氏が制作を任されたと書いてありました。

いよいよ雨も上がりましたので小谷城へ行きましょう。まず、小谷城址ガイド館へ行って情報収集です。何せ昔行った記憶では沢山歩いたような。

このお城は、それでなくても小谷山一帯の尾根筋や谷筋をそのまま活用した南北に長い山城なんで、全部を見ようとすると大変なんです。

途中まで車で行けるようなんでほっとしました・・・続きはまた今度。笑

ここら一体が古戦場になっている姉川を渡り

お買い物はイオン系列のディスカウントストアーでたっぷり行い。

先にお風呂です。温泉博士でタダで入浴。本代の元は取りました。笑

帰り道に良いものを見つけて

奥にあるという事なんですが

害獣柵で・・・どこにあるの?。途中に民家で聞くと、柵の奥に進むらしい。そうならそうと案内板位出せば?

柵の奥を少し進むとそれは有りました。

唐突に。笑

谷の奥に・・・脇坂安治の生まれた所が有りました。今だったら不便この上もない。

きっと脇坂家も浅井家に属してこの谷筋を守っていたんでしょうね。

脇坂と言えば・・・覚えていませんか?。淡路島の大洲城へ行った時に。

そこから次の所を、定休日かも知れないと思いネットで検索。1カ所は営業を止めていました。そしてもう一か所のヤンマーミュージアムはお高くて断念。

そして行ったのは、曳山博物館です。

長浜は秀吉が初めて国持大名となって、信長にお礼も兼ねて今浜を長浜に改名した秀吉一流のヨイショの町です。笑

小松にも子供歌舞伎は「お旅祭り」が有りますが、見たことはございません。灯台下暗しで御座います。笑

この台の上て演じるそうです。

演目の一つ傾城宮城の・・・らしい。笑

この曳山にも鉄砲鍛冶の細工が生きているそうです。

前の柱とか欄干とかに美しい装飾が施されていました。

また鉄砲鍛冶の細工は仏壇にもされていて、金沢仏壇位に光っていましたよ。

ここでも大河ドラマが・・・何の関係か分かりませんが・・・「北川景子って案外小さいんやね~」って奥様。小さい=可愛いんですよ。今迄可愛いと言われたことが無いでしょ。笑

館を出る時に「入り口に直実の像が有りましたが何の所縁ですか?」と聞いたところ「ナオザネ?それなんですか。」「通りにあった銅像ですよ」と言うと「ちょっと待ってください。聞いてみます。・・・歌舞伎の演目の関係だそうです」

(ここから独り言)

呆れますね~この建物が何か分からず受付をしているくらい呆れますね~。熊谷次郎直実は武蔵の国の住人で源氏方として鵯越の戦いで平の敦盛を討ち大功を立てるが、世の無常を感じ出家する。敦盛は笛の名手と知られ、彼の話は謡曲の敦盛・・・人間五十年下天の内をくらぶれば~っでお馴染みです。くらい言えないものですかね~。

という事で、ちょと早いですが

道の駅に到着です。

あまり走りませんでしたので充電が心配ですが、今迄より電気を喰わない冷蔵庫なんで何とかなるでしょう。


 

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