ひでです。お早うございます。今日も早起き、4時半起きです。今日は移動も有りますのでパッキングをしなくっちゃ。それに、日の出までに神殿に行かなきゃならないので早くしなくっちゃ。

早朝ですから「胃がうまく動いていない」と言う奥様。

サラダ・果物をメインに

夕御飯の時はケーキとかのデザートだったのに、朝はハムとかに模様替えしています。

私は世界中どこでも味の変わらない卵一択です。笑

ご飯が終わったら荷物を積み込んでバスに乗ります。ホテルともこれでサヨナラです。のんびりともう一泊したかったな~。

遺跡に到着して、荷物チェックを終えてスロープを下ります。

さあ、ここで約3300年前に作られたアブシンベル神殿の歴史について紐解いていきましょう

アブ・シンベル神殿はカイロより南に約1200km離れたヌビアと呼ばれる土地にあり(昔はヌビアもエジプトの一部だったようです)現在の国で言うとスーダンとの国境近くに位置しています。

古代エジプトにとってのヌビアは軍事的・商業的に重要な場所でした。傭兵のための兵を集めたり、最も大切なことは金とか象牙です。特に金はヌビアでしか取れないという事です。

古代エジプトのアマルナ書簡には金を持っているエジプトに対して諸外国が金を懇願する様子が描かれている位です。武力と資源に恵まれたヌビアの民に、自分の巨大さを見せつけるために、エジプトの国境に巨大な神殿を建てたのではないかと思っています。(私の私見です。笑)

もう少しで夜が明けます。

遺跡が移動する前にデビット・ロバーツが描いた絵です。その時から水に浸かっていたようです。

因みに、遺跡が移動する前のオリジナルは、砂岩をくり抜いて作られた岩窟神殿です。

この角を曲がると

こんなにも砂に埋もれていたんですね~。

この神殿を建てさせたのは、エジプトで1番といって良いほど人気のあるラムセス2世です、彼は、エジプト新王国第19王朝のファラオで、紀元前13世紀頃、約66年に亘ってエジプトを統治したと言われています。

建築王と呼ばれた彼が残したなかでも最高傑作といわれるのがアブシンベル神殿です。

ジャジャジャ~ン。これがアブシンベル神殿です。

ナセル湖の日の出です。現地時間は6時30分でした。7時間の時差がある日本は夜です。

この大神殿の入り口には4体の巨大な像が並んでいます。この像は全てラムセス2世です。左から若い順に青年期から老年期まで並んでいるんです。この像はそれぞれが約22メートルもの高さがあります。凄い存在感ですよね~。

左から2番目の像は上半身が欠けています。神殿が完成してから約7年後に大きな地震があったそうで、その地震で像が崩れてしまいました。崩れた頭部はその足元に転がっていました。

移設時も頭部をどうしようかと問題になったようですが、発見された当時の頭部が崩れたままの姿で忠実に保存することに決まり、現在でも崩れたままの姿です。

足元にはラムセス2世の母ムトゥイや王妃ネフェルタリ、子どもたちなどの小さな立像があります。一説によると、ネフェルタリを含め8人の王妃や200人ほどの側室との間に111人の息子と69人の娘を儲けたという逸話が有ります。さすがのひでも真似できません。笑

ラムセスの足元には沢山のハヤブサが居ました。

中央の入口上部には、祭神の「太陽神ラー・ホルアクティ」の像が置かれています。太陽円盤をいただきハヤブサの頭をした姿で描かれています。この神殿はラーとラムセスのために作られました。

アスワンハイダムの底に沈むアブシンベル神殿を1000個以上の石のブロックに切断し、5年もの歳月をかけて丘の上に移築した・・その跡は・・・唇・目の所の横のライン後ろの壁面の線に見て取れます。

足元には首を繋がれたヌビア奴隷のレリーフが。このレリーフは・・・見たことないですか?カルナックだったかなルクソールだったかな?・・・そして、上下エジプトを向かい合う2人のハピ神が束ねる姿です。上下エジプトの統一を表現しています。これも見ましたよね。

ここまではコプト教の信者も来なかったのか棄損されたレリーフが有りませんでした。

大神殿の平面図です。A ラムセス2世の巨像 B 大列柱室 C 第二列柱室 D 前室 E 至聖所 F 図書室 G 倉庫 です。(ネットからお借りしました)

それでは中に入りましょう。日が高くなって至聖所に光が入るようです。まず、入り口は大列柱室です。高さ9メートルのラムセス2世の像が8体立ち並ぶ部屋です。ここ太陽神ラー・ホルアクティに捧げられた神殿ですが、実際はラムセス2世が神になろうとしている神殿なのです

ここの像はすべてオシリス神のポーズをとっています。オシリスは冥界の神で、ファラオは死ぬとオシリスになると考えられていて、ファラオのミイラもすべて同じ格好で、手を前でクロスしていますね。

ロバーツさんの絵にはこんなに色が残っていますが・・極彩色ですよね・・だいぶ脚色してあるんでしょうか?

ここが発掘されてから200年余り。そんなに早く色が抜けるはずか有りませんよね。笑

この天井の絵は、ハゲワシの姿をした上エジプトの守護神ネクベト女神が描かれています。

それでは、壁画を見て行きましょう。ここには王の業績や聖なる船で儀式を行う場面や、有名なカデシュの戦いやリビア・ヌビアとの戦いが描かれています。要するに自慢話ですね。笑

壁画の説明の前に、有名なカデシュの戦いの説明を。紀元前1274年にシリアで行われた古代エジプトとヒッタイトの戦いで、史上初の公式な軍事記録に残された戦争です。ここで有名なのが明文化された史上初の平和条約が結ばれたころです。

ヒッタイトの属国を征服したラムセス2世ですが、ヒッタイトに取り返され、それを取り戻しにシリアへ遠征しました。進軍の途中でヒッタイトのスパイを捕らえたラムセス2世は、まだヒッタイト軍が遥か前方にいるとの偽情報を信じて、性急にカデシュの街に襲い掛かりました。ところが、前方に居るとばかり思っていたヒッタイト軍はエジプト軍を待ち構えていたのです。

早くカディシュを征服しようと焦っていたラムセスの軍は長く伸びていて、後方の軍が追いついていませんでした。呉と蜀の戦いで劉備が敗れた夷陵の戦いの様です。対するヒッタイトは鱗重ねの陣で襲い掛かりました。(じゃないかと思います。笑)一重で火は持てませんから。

エジプト軍の敗戦は必至でした。少数の親衛隊と孤軍奮闘するラムセスもついに負けを覚悟したその時、天の恵みが。遅れていた後続の部隊が追いついてきてラムセスは九死に一生を得ました。

やがて、戦闘が膠着状態に入り、ヒッタイト王は停戦を申し入れ、ラムセス2世はこれを受け、両軍とも兵を退くことになりました。ラムセス2世は負けることはなかったのですが、多数の死傷者を出し、領土も獲得できなかったラムセス2世は事実上の大惨敗だと思います。

やがて、ヒッタイトとの和平協定が結ばれ、ヒッタイトの姫がラムセス2世に輿入れして、両国の親善がはかられました。

ヒッタイトの首都はトルコの中央に有り、ハットゥシャと言う所です。ツアーでトルコに行っても絶対と言っていいほど行かないと思います。笑

ライオンを連れて草原を疾駆するラムセス2世。百獣の王ライオンをも従えるラムセスです。エジプト軍は上下2段にわたって描かれています。大軍でヒッタイトをねじ伏せたという事でしょうか。

そラムセス2世が、ヒッタイト人捕虜を足で踏みつけながらもう一人を打ち据えようとしているシーンではないでしょうか。エジプトの遺跡はガイドさんは入ってはいけないんです。外で説明を受けてから入るんですが、壁画を見る時には忘れています。

カデシュの戦いでのラムセス2世が描かれています。

この壁画、ラムセス2世の腕が2本、馬の足も4本と躍動している様子が描かれています。でも決して、馬の躍動感を表している訳では有りません。エジプトの戦車(チャリオット)は2人乗り(御者と弓兵)で弓で戦う弓騎兵のようになっています。
2人乗りなので軽量で小回りが利き軽快な動きができます。、また飛び道具を使用するので敵戦車部隊が接近するまでに敵部隊を叩くことができます。

よく分からないと思いますが、ラムセス2世の腕が2本に見えるのは御者では有りません。ラムセスの奥に同じように弓をつがえているのは神です。神懸かり的な獅子奮迅だったことを表しています。

ヌビア人(ヒッタイト人?)の捕虜たちを打ち据えるラムセス2世と王に勝利の短剣を差し出すアメン・ラー神が描かれています

下には、ダチョウの羽の扇を持って行進する8人の王子が描かれています。

左から3人目はミン神。多くの神々が崇拝されてきた古代エジプトの神々の中でも、一度見たら忘れられないような強烈な特徴を持つ神様です。頭に2枚の羽毛がついた頭飾りを着け、手には唐竿を持ち、○○が勃起しているという凄まじいインパクトです。笑

倉庫の様です。壁には神々に供物を捧げるレリーフが描かれていることから穀物倉庫ではないかと考えられています。

一番奥には神々に戴冠されるラムセス2世が描かれています。右は太陽神ラー・ホルアクティと知識の神トト神に祝福されるラムセス2世が、左はアメン神とホルス神に祝福されるラムセス2世が描かれています。

ラムセス2世が神々に捧げものをしているシーンが描かれています。この神は誰だったっけ?

ラーに捧げものをするラムセス2世。。

トト神に捧げものをするラムセス。トト神は頭がトキです。知恵の神、書記の守護者、時の管理人、楽器の開発者、創造神などとされ、貴族・民間人問わず信仰されたそうです。

戦争評議の場面らしいのですがラムセス2世が他と比べてやけに

大きく描かれています。

戦いの最前線のようなレリーフです。右側には崩壊しかかってチャリオットから真っ逆さまに落ちる兵士も。という事は左がエジプト軍、右側がヒッタイト軍という事でしょうか。何せカデシュの戦いはラムセス2世にとっては“大勝利”でなくてはなりませんからね。

柱には神々から祝福を受けるラムセス2世が描かれているそうです。

最高神アメン・ラー神の聖なる船を歓迎しているラムセスとネフェルタリでしょうか。

そろそろ神殿の奥に日が差し込んできました。アブシンベル神殿では、1年に2回だけ太陽が至聖所の神々を照らす奇跡が起きると言われています。至聖所は大神殿の入り口から約60メートル入った一番奥にあります。

太陽の光の差し込むのは2月22日と10月22日の2日だけです。神殿の入り口からまっすぐに入った日の出の太陽の光が、至聖所にある4体のうちの3体の像を照らします。私達が行ったのは2月13日ですから22日まであと9日です。もう22日みたいなもんでしょ?。笑

太陽は動くんですが、最初から最後までラムセス2世の像には太陽の光があたり続けます。それは、この神殿がラムセスが神になる過程を表したものではないかとも言われています。

ここにある4体の像は、向かって右から太陽神ラー・ホルアクティ、神格化されたラムセス2世、首都テーベの守護神アメン・ラー、メンフィスの闇の神プタハの順に並んでいます。

太陽が移動しても、闇の神とも言われていたプタハには光が当たらない設計になっているそうです。3000年前の天文学と建築学の知識・技術に驚くばかりです。

え・え・え~。ライトが当たっているのね。これじゃ分かりません。がっかりです。笑

ローバーツさんの絵ではこんなに綺麗です。

しようが有りませんから、入口へ回れ右です。

真正面に6000年前から古代エジプト人が連綿と見続けていた太陽です。

次はアブシンベル神殿の小神殿です。

 

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