ひでです。お早うございます。書き忘れが有りましたので、挟ませていただきます。
和歌山城には2017年3月25日に行きましたが、100名城のハンコを貰ってないんで、また行かなくてはいけません。笑
場所:和歌山県
城主:豊臣秀長(桑山氏)→浅野行長→徳川頼宜(紀州徳川家)
石高:2万石→37万石→55万石
別称:虎臥城
来歴:根来衆や雑賀衆を滅ぼし和歌山を平定した豊臣秀吉が弟の小一郎秀長を守将に任じ、藤堂高虎が作り上げた城が和歌山城の前身です。
でも、秀長は大和郡山城に居たので、城代として桑山氏が守っていました。その後、秀長は亡くなりましたが城代は変わりませんでした。関ヶ原の戦いの際には桑山氏は徳川に味方し、その功で2万石を与えられて大名となりましたが、領地替えとなり、浅野幸長が37万石で和歌山を治めることになりました。
その後、浅野幸長は広島藩主として領地替えになったので、後には家康の10男徳川頼宜が入り、紀州徳川家を起こし、御三家の一翼を担うことになりました。
将軍吉宗をも輩出した紀州家ですが、もう少しで取り潰しになる出来事が有りました。由比正雪のクーデター未遂事件です。大坂の陣・関が原で取り潰された浪士を救済するという名目で、幕府転覆を画策しましたが事前に露見し未遂で終わりました。
自害した正雪の遺品に頼宜からの書状が出てきて、頼宜が加担しているとの容疑が出てきました。書状は偽物という事で一件落着しましたが、御三家だということで表立った処分が出来なかったのではないか・・・・と思います。行ったのは5年も前なのでほとんど忘れていますが。笑
不明門の駐車場に車を置いて
新裏坂登り口を上がって
天守曲輪下段で侍の恰好をした係員に「写真を撮りますよ」と言われ遠慮なく撮ってもらいました。
天守曲輪から見た小天守(左)と大天守です。大天守へは小天守からしか入れません。この3層天守は大戦で焼失してしまい。今建っているのは鉄筋コンクリート造りの復元天守です。
中に入ると金棒が有り持つことが出来ましたが、流石に鬼が持つと片手で「ひょい」って感じでした。恐ろしいですね~。笑
城内には復元模型も有りました。
天守から見た本丸御殿跡です。遠くに和歌の浦(と思います)が見えました。
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