ひでです。お早うございます。中城城へは11月12日に行きました。

中城城はいったい何と読むのでしょう。今帰仁グスクをナビに登録する時、なきじんじょうではなくてなきじんぐすくだとお勉強しましたから、今度こそという思いでなかぐすくぐすくとナビに入れたんですよ~、そうすると登録できなくてなかぐすくじょうで登録出来ました。って、どっちが本当?。

お城の管理事務所でどっちが本当か聞いてみると「どっちでもいいんですよ~」ってどっちかにしてもらえませんかね。笑

そう言えば、豊見城(とみしろ)って高校野球で有名ですけど、沖縄へ来てとみぐすくという事が分かりました。そのことをカヤックの先生にも聞いたところ「どっちでもいいんですよ~」って、あんたらなんくるないさ~の人やね~。笑

場所:沖縄県

城主:先中城按司(豪族)→琉球国王・尚泰久(佐護丸)

石高:

別称:

来歴:先中城按司によって築城されたと言われていますが、琉球を統一した尚氏の城となり、その後、台頭してきた勝連按司の阿麻和利を牽制するために座喜味城から佐護丸が入城し、城を増築し強化しました。

佐護丸は、尚巴志に従って琉球統一に尽力し、従姉妹が尚巴志王の妃になり、名実ともに琉球王家の重臣になっていましたが、さらに、娘が時の国王尚泰久の妃になり、舅という事で、押しも押されもしない立場にありました。

対する勝連按司の阿麻和利は、前の勝連按司が悪政を敷いたのでこれを滅ぼし、代わって自らが勝連按司にとなり、今や飛ぶ鳥も落とす勢いでした。泰久王もこの麒麟児を無視できず、娘を娶らせ娘婿として懐柔しました。

ここから2つのお話があります。

一つは通説ですが、天下奪取の野望を持った阿麻和利が一計を案じ、琉球王府に佐護丸の謀反を注進し、それを信じた王府が佐護丸を襲い自刃に追い込んだ、その後、阿麻和利は力の弱まった王府を襲おうとしますが、阿麻和利の奥さん(王の娘)からの密告で阿麻和利の反乱は王府の知る所となり、勝連城は王府軍に攻められ阿麻和利は滅ぼされました。というのが一般的ですが、私は

王よりも人気・実力が有った2人の按司を滅ぼそうと思った尚氏が、一方の娘を嫁にし、一方には娘を嫁し、両按司との結びつきを強める事で油断させ、先ず無実の罪を佐護丸に着せ佐護丸を滅ぼし、次に、謀反と言う無実の罪で阿麻和利を滅ぼしたんだと思います。その方がよっぽど説明が簡単なんです。知らんけど。笑

黄色の所に車を止め、管理事務所で受付をして、ゴルフカートで南の郭まで送ってくれます。

雨が降ってたんで事務所で傘を借りて。

そこから青い線を辿って歩いて管理事務所に戻りました。いえ、戻らなくてもいいんですけど、傘を返さなくちゃいけないんで。笑

正門から入ります。

南の郭にガマが有りました。

で、そこから海が見えるんですけど・・・雨が降って見通しが悪いの。

南の郭に幾つかの御嶽が有りますが小城ノ御イベが有ったり

雨乞いのイノ御嶽が有ります。そこから一の郭の方へ

一の郭に向かいます

一の郭の正殿が有った所です

石垣からの眺め・・・ロクに見えませんが。天気が良ければ凄いんだろうな~。

二の郭です。

右側から石垣に上ります。

護佐丸に見えます。手を振っています。笑

二の郭から三の郭へは直線で行けません。左を下りて

北の郭との間を通ります。

三の郭に上りましょう。

三の郭の出入り口はここしかありません

上り口に戻って、裏門に出ます。

振り返ると三の郭の石垣が立派ですね~。

ここに世界遺産の記念碑が。裏ですが、ここが正面の入り口みたいですね~。

管理事務所に傘を返して。有り難うございました。

これで、沖縄のお城を終わります。これからはまた本土のお城のお話です。

 

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