ひでです。お早うございます。座喜味城には11月5日に行きました。

場所:沖縄県

城主:護佐丸(尚巴志の城代)

石高:

別称:なし

来歴:中山王の尚巴志が北山王(今帰仁城)攻略のために山田按司(豪族の城主)の護佐丸を味方につけ、北山王を滅ぼした後に護佐丸が築城したと言われています。

この護佐丸の祖先と言うのはと言うのは北山王の一族だったんで、征服した後の北山の民の鎮撫のため、北山守護の要職に就き座喜味城を造り居城としました。

尚巴志は政権を盤石にするため、護佐丸の従妹を妃としました。尚巴志の一族となった護佐丸は、座喜味城に18年間居城し、中国や東南アジアとの海外交易で、創成期の琉球王第一尚王家を武力だけではなく経済的にも支えました。

前の道を

世界遺産登録記念碑を前を通って

看板で座喜味城のお勉強です。

二の郭の入り口が見えます。座喜味城の城壁や城門の石積みの精巧さや美しさは、沖縄の城の中で随一といわれています。ワクワクしますね。

城門は沖縄に現存する最古のアーチ門で門の強度を高めるために中央部にはクサビが打ち込まれています。このつくりは他の城には見られない座喜味城独自のもので、護佐丸の築城技術の高さを象徴しています。

でも、この石垣は戦後再構築したものです。大戦中ここには日本軍が高射砲陣地を構築していため米軍の攻撃で瓦礫となってしまったんです。

当時の石造建築技術の高さを示す貴重な史跡となっています。相方(あいかた)積みが綺麗ですね。石は石灰岩のサンゴかな?

郭の中は広い。でも、昔はどんな建物が建っていたのでしょう?

アーチ門を通って一の郭へ。ここにもクサビが使われています。

一の郭の中には礎石の跡もあります。

石垣の上に登ってみましょう。大人が5、6人並んで立てるほど、城壁の幅に厚みがあるのが特徴です。城壁の上に登ると、万里の長城を思い出します。

その日は小雨が降っていましたが、夕方になると東シナ海に落ちる美しい夕日が望めますね。

郭の中では結婚式の前撮りでしょうか?。女の人は日本の着物のようですが、男の人は・・・やっぱり中国・韓国様式でしょうか?。

二の郭へ戻って

この先は何が有るのかな?と思って進みます。

ところが行き止まりでした。敵が攻めて来た時、こんなゴーレムが出てきたらビビってしまいます。というより殺されてしまいます。笑

お城の入り口に座喜味城址ユンタンザミュージアムが有りましたが、運悪く定休日でした。残念です。

 

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