ひでです。お早うございます。後瀬山城には今年の春の4月9日に行きました。九州行きの時に行ったんですが、つい忘れていまして、今頃書いています。笑
場所:福井県
城主:武田氏→丹羽長秀→浅野長政→木下氏→京極氏→酒井氏
石高:12万石(酒井氏代)
別称:武田氏城
来歴:甲斐武田氏(頼朝と同時代の源氏)から分かれた武田氏が、室町幕府の命により一色氏を倒した功により若狭の守護に任ぜられ、若狭武田氏となりました。北海道の松前氏の祖も、若狭武田氏から出た(北海道で聞きまして、甲斐武田のゆかりの地へ来たかったんですよ)という事で、北海道とも強い縁を感じます。
後背山に城を築き守護として君臨していた武田氏ですが、内紛が続いたことで次第に勢力は衰え、越前に住む親族の朝倉義景に軟禁されたりしましたが、ほどなく、朝倉氏は織田信長に滅ぼされ、後背山城には丹羽長秀が入りました。
秀吉の代に丹羽氏の嫡男が石川の松任に減封となり、後を浅野、木下と主を替え、蛍大名と陰口を言われていた京極高次(お江の姉(お初)の息子。女の尻で出世した。笑)が関ヶ原の功で入り、京極氏が新しく作った小浜城に移り、移封されると酒井氏が入り、後背山城は廃城となりました。
このお城に登る道が分からず、違う山に登ってまた下りるという事を繰り返し、やっと見つけた登り口です。
「私待っとるから~」と言う奥様を残し城跡へ。何時もの事さ~。笑
ソーラーパネルが素敵ですね~。
2山目なんで膝が震えて・・・旅に出ると体重が減ります。やっぱり旅に出なくちゃだめだ。笑
もうくったくた。もう少し、頑張れ
と思ったら、後20分ですって。心が折れる。
隘路になっています。これが土橋でしょうか?
主郭部迄もう少しです。昔の石垣が見えてますね。
やっとのことで主郭部まで来ました。記念の手形です。笑
もう少し行けば千畳敷と言われる山上御殿が有るようですが
膝がいっぱいいっぱいでしたので、見晴らしの良い山上を下りました。山は登るより下る方が疲れるんです。
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