ひでです。お早うございます。鞠智城には5月19日に行きました。
場所:熊本県
城主:天智天皇
石高:
別称:
来歴:白村江の戦いで敗れた日本は、大宰府の守りのカナメとして基肄城・大野城・水城を作りましたが、南の守りと、物資・食料などの後方支援も兼ねて鞠智城(キクチ城)を作りました。西暦で言うと600年代ですから昔々の話ですが、なぜわかるかと言うと、続日本書紀に書いてあるんです。砦の範囲は鬼の城とか大野城・キイ城と同じで広い城域です。
このお城は約300年も続いたそうですが、いつ役目を終えたのかは分かりません。
ここには、ガイダンス施設の温故創生館と言うのが有るんですが
しょうがないんでブラブラ散策しましょう
八角形の鼓楼です。夢殿を参考に作ったのかな?。最上階には鼓を置いて時刻のお知らせや非常時に鳴らしていた模様です。
米蔵や兵舎も復元されていました。
向こうの方に深迫門があるようなんで行ってみましょう。
深迫門と門柱を支えていた礎石です。
天智天皇の時代でも、中国が攻めて来るかも知れないと騒いでいる日本人が目に見えるようです。・・・・あれから1300年も経った今の時代も外敵に怯えているのは同じですが。笑
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