ひでです。お早うございます。今日からまたお城シリーズです。もう少しお付き合いください。ここ人吉城には5月7日に行きました。

球磨川を天然の堀として使ったお城です。

場所:熊本県

城主:相良氏

石高:2万石

別称:繊月城

来歴:鎌倉時代に地頭として相良氏が人吉に入り、それから明治の入るまで、人吉はずっと相良氏が治めました。

その相良氏は鎌倉時代から内紛に次ぐ内紛だったそうで、一族の家系が入れ代わり立ち代わり城主となりますが、それでも相良氏に変わりはなく、相良氏は連綿と続いて行きます。

戦国時代になり相良氏は、八代城・相良城などを支配し大きな勢力となったようですが、相良頼房の代に入ると島津氏に押され、領地はどんどん削られて、人吉を残すだけになってきました。

そんな時に、幸運にも秀吉の九州平定軍が入ってきて、相良氏は直ぐに指揮下に入り、球磨郡の領有を認められ、関ケ原の戦いの時は、最初は西軍につきましたが、途中で東軍に寝返り武功をあげ、引き続き旧領の支配を認められました。

人吉相良藩は明治まで三十数代にわたって連綿と続いて来た家柄なので一族が沢山あって抗争を繰り返してきて、お家騒動も幾つかあって、そんな2万石余りの小藩が明治まで続くことは奇跡的だと思います。

球磨川を渡る橋の左に見えるのが人吉城です。

駐車場に車を止めて城跡に向かいますが、令和二年の豪雨の被害で工事中です。

ガイダンス施設も洪水の被害で閉まったままでした。ま、行ってみましょう。

最初に見える石垣は珍しい姿をしていました。この城は火災で大部分を焼いてしまったので、櫓を設けず「はね出し」という工法を採用したそうです。

先へ進むも、工事のお兄さんから「進入禁止」を告げられ、すごすごと退却。

奥さまは来なかったので、ここで引き返しては(なんや。ダメと言われてすごすごと帰って来たん)沽券にかかわる。ぐるっと回って道を探し、本丸に向かいます。どうぞ、本丸まで行けますように。

赤い線が歩いた道です。

主君の住まいだった御館跡を眺め

もう少し道を進み左に折れると堀をまたぐ御館御門橋が有ります。ここを入るんでしょう。

今は歴代藩主を祀った日吉神社になっています。

鳥居をくぐって、御館庭園を見て

ここを上がると本丸まで行けます。

これは石垣では有りませんよ。土留めです。

三の丸へ出て

石垣にそって上がります。

こちらも三の丸ですね。三の丸は2カ所あるようです。

お城好きがどこにも居ますね。

た、狸が出た!と思ったら私です。笑

一人で来ると証拠写真が無いので、物好きの皆さんに撮ってもらいました。

中の御門と思われます

二の丸でしょうか

その先を上がっていくと

本丸に出ます。

本あるには天守閣は無く、護摩堂が建っていたそうです。

よく整備された城跡になっていました。

 

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