ひでです。お早うございます。ここには4月29日に行きました。
場所:長崎県
城主:大村氏
石高:
別称:大村城
来歴:大村氏の先祖は藤原純友だと言います。まあ、いつもの「良い血筋」と言いたいんでしょうが。笑
鎌倉時代のは御家人として肥前大村を領し、戦国大名となって行く大村氏ですが、島原を本拠地とする有馬氏の圧力に屈し、従いました。佐賀の龍造寺氏の勢力が優勢になると龍造寺氏に従うようになります。
その後、有馬・島津の連合軍が龍造寺氏を破り、大村氏は所領を回復します。キリシタン大名として有名な大村氏で、天正遣欧使節団に千々岩ミゲルを送ったことでも有名です。
所領を回復し、丁度九州を平定に来た秀吉に従う事で所領を安堵することが出来ました。その後、伴天連追放令が発せられると、直ぐに棄教しキリシタンを弾圧することで藩を存続させました。
関が原ではいち早く東軍につき、所領を守ることが出来ました。明治まで後継ぎ問題で、幾たびか藩の存続の危機が有りましたが、何とかこれをしのぎ、戊辰戦争ではいち早く官軍につき、軍功を上げ、最終的期は伯爵にまで上り詰めました。こんな小藩には珍しいことです。
綱渡りのように、薄氷を踏む思いをしながら大村藩は明治まで玖島城から離れることは有りませんでした。
三方を海に囲まれた難攻不落のお城だったと言われています。
駐車場から昔のお堀の跡を大手口に向かいます。
復元された板敷櫓です。大村氏は清正に感化され法華経に改宗した関係から、この城を作った時に清正の指導があったと言う事です。なので、たまに扇の勾配に出会います。
明治になって本丸跡には大村神社が入り、歴代の藩主を祀っています。
大手口から入ります
本丸虎口の石垣だったかな?ここを通るのは至難の技でしょうね。
石垣のうらは階段になっていて狙い撃ちです。
階段を上ると本丸です。
本丸には大村神社が
お城から出て海沿いを行くと、当時の遺構のお船蔵跡が有りました。この水軍城には幾つかあったようで、ドックの役を果たしていた他の城には無い珍し遺構です。
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