ひでです。お早うございます。ここには4月18日に行きました。
場所:福岡県
城主:天智天皇
石高:
別称:別所城
来歴:大宰府は今でこそ天満宮を指しますが、古代日本の行政機関として九州を統括し、西の都として地理的に日本の外交と防衛の最前線として機能しました。アジア大陸の窓口としても機能しましたので、大変重要な政治の中核として政庁が建設されました。奈良の朝廷の次に大切な役所だったのでしょう。
ここの副長官として赴任したのが菅原道真です。組織として社長は会社の顔、常務は実質的に組織を動かす人なんで副長官に何が不満があるのかな?と思うんですが
ところが、藤原氏の讒言によって、仕事は無いは給料は貰えないは、子供たちは流罪になるは・・・
道真が亡くなり、葬ろうと牛車に乗せて行くんですが、急に牛が座って動かなくなり、そこに社を作ったのが太宰府天満宮の始まりです。
そこから水城に向かいました。ガイダンス施設は生憎お休みでした。
博多湾に向けて2本の道が有りましたが水城の関を通らなければいけません。大宰府長官もここを通りました。
西門ルートにも行ってみましょう~
展望所に上がってみますと、まだ水城の面影が残って居ました
上から見た所です。高速道路が真ん中を通っていますが、いにしえの昔から太宰府の変遷を見て来たことでしょう
太宰府庁あとも水城も福岡藩によって守られてきましたが、明治になって多くの貴重な礎石なんかが持ち出されたそうです。
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