ひでです。お早うございます。弘前城には6月1日に行きました。

場所:青森県

城主:津軽為信

石高:4万7千石

別称:高岡城

来歴:日本最北に有る現存天守です。米軍の爆撃の的にならなかったという事でしょう。田舎に有って良かったですね。なので、残って居る遺構は姫路城に次いで多いんだって。だから回り終わったらぐったりでした。笑

この城は、津軽為信が築城を始めましたが、途中で亡くなってしまい、後を継いだ三男信牧(長男・次男は亡くなってます)の時代に完成しました。信牧(のぶひら)は家康の娘(きっと養女でしょう)を正室に迎え徳川との結びつきを強め、大坂の陣への参加、天海和尚に城の名前を付けてもらうなど幕府に取り入り、外様大名として着々と地位を築き上げて行きました。

先ほど現存天守と言いましたが、最初に作った天守は5層の大変立派な天守だったそうです。でも、落雷で燃えてしまい、新しい天守は幕府から許可が下りず、櫓を作ると言って出来たのが今の3重の天守閣す。

それでは、城内に入りましょう。戦火を受けていませんので、城域が広いんです。このお城は桜で有名ですが、私達の行った時には散った後でした。笑

追手門口から入りましょう。赤い線を通りました。

工事中でした。

追手門のしゃちほこです。

現在、天守の石垣ははらんでるんで、積み直しています。邪魔な天守を曳家でずらしています。ついでに、直す所はこの機会にという事でしょうか?

杉の大橋を渡って

南内門ですが・・・ここも工事中か。

下乗橋を渡って

本丸へ・・・どうなっているのかな?

本丸の石垣の積み直しをしていました。

この先に天守が鎮座してたという事です。

天守台に有った天守が・・・

こんな風に引っ張られて・・・

はらんだ石垣の修理に

昔も直したことが有った様です。

引っ張られてこちらなった天守です。何か貧弱。流石櫓を流用しています。地べたにポンです。

なんか他の天守に比べて厳つく感じませんか?

中には本丸御殿の模型が有りました。

厳つい秘密は屋根は銅板葺きでした。いざという時になって、立てこもる時は鉄砲の玉になるでしょう。

ひさしの所も皆銅板葺きでした。だから厳つく見えたのか。

 

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