ひでです。お早うございます。ヲンネモトチャシ跡には6月23日に行きました。ここは100名城の起点になっていて必ず行かなければいけないんです。それと、日本本土四極踏破証明書も納沙布岬で貰えるんでその点でも行かなくては。

「チャシ」はアイヌ語で「柵囲い」を意味し、砦、祭祀の場、見張り場など多目的な用途で使われていたとされています。チャシ跡は北海道内で500ヶ所ほど確認されています。

根室市内には32ヶ所のチャシ跡が残り、うち24ヶ所は「根室半島チャシ跡群」として国指定史跡に指定されています。

場所:北海道

城主:アイヌ

石高:

別称:

来歴:この地域を支配していた和人が、暴力や脅迫をしてアイヌ民族を漁場で働かせたことが本となり、国後島や羅臼、標津地方のアイヌ民族が和人71人を殺害するという「クナシリ・メナシの戦い」が起きました。納沙布岬には寛政の蜂起の碑がありまして、亡くなった和人と処刑されたアイヌを弔っていました。

幕末に知床地方を訪れた松浦武四郎が出版した「知床日誌」によると、アイヌ女性が年頃になるとクナシリに遣られ、そこで漁師達の慰み物になったと書いてあります。また、人妻は交易場で番人達の妾にされ、男性は夫役(和人が決めた役の事)のため離島で5年も10年も酷使され家族と離れ離れに。独身者は妻帯も難しかったとされています。その時代の和人(日本人)は人の皮をかぶった化け物です。

そんな暗い歴史のあるヲンネモトシャチ跡はただの草原のように見えました。

台地の上に人工的に盛土をして、周囲に壕を巡らせているのが上から見ると歴然です。土塁と空濠で、本州でいう江戸時代以前の城跡のようです。

ここは「クナシリ・メナシの戦い」の戦場、処刑場にもなっているので学術的にも貴重な存在となっているそうです。

そう言う貴重な史跡の上でボートレースに驚きました。すっごく早いんです。笑

横が温根元漁港でした。(日本のはじっこの草原を歩く2~3人の変わり者に出会いました。先方もそう言っている違いありません。笑)

レースをしていたのはコンブ漁の船でした。大きな船外機が2つもついています。

ロシアの監視船から逃げるためでしょうか?。違うか?笑

日本本土四極踏破証明書は残す所大隅半島の佐多岬だけです。きっと今年中には達成できるでしょう。

 

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