ひでです。お早うございます。ここには12月18日に行きました。言わずと知れた国宝で、世界遺産です。これぞ「お城」といった佇まいです。

場所:兵庫県

城主:赤松氏→小寺氏(黒田氏)→秀吉→池田輝政→本多・松平・榊原・酒井氏

石高:52万石(輝政時代)

別称:白鷺城

来歴:赤松氏が築城した後、一族の小寺氏の居城となり、戦国時代は重臣の黒田氏が城代として治めました。官兵衛の代には小寺氏から城を奪い、黒田官兵衛が城主となりました。

やがて、信長の勢力が及び秀吉が進駐してくると、播磨の城主たちは信長・毛利の間で揺れることになりますが、官兵衛は早くから信長に組することを決め、秀吉に仕えると、大胆にも秀吉に「姫路を本拠地にすればどうか」と言って姫路城を差し出したそうです。

その後、関ケ原の戦いで戦功のあった織田信長の乳兄弟の池田恒興の息子で家康の娘婿の池田輝政が、現在の城に大きく作り変えました。

この姫路城には面白い話が有り

先ずは、千姫

池田氏の後に城主となった本多氏なんですが、忠刻の奥さんが元秀頼の奥さんの、秀忠の娘の千姫です。千姫を燃え盛る大坂城から助け出したのは坂崎出羽守なんですが、助けた者に姫をやるという話が反故にされ、本多家に嫁ぎました。という訳で。化粧櫓は千姫のために作られました。

坂崎出羽守については恨みが高じて騒ぎを起こしたんですが、今回はここまで。

お菊井戸

山里曲輪にお菊井戸というのが有ります。小寺氏が城主の時代、執権の青山氏が城乗っ取りを企んでいるという事を察知した忠臣が愛妾のお菊を青山家に女中として潜り込ませますが、素性がばれてしまい、家宝の皿の不足をでっちあげ、お菊を犯人として殺してしまい、井戸に投げ込みました。それから夜な夜な・・1枚、2枚、3枚・・番町皿屋敷として有名ですね。

榊原騒動

徳川四天王の一人・榊原康政の末裔の榊原政岑(まさみね)が姫路城主の時です。政岑は領民から慕われた城主だったようですが、幕府に要望を聞いてもらえなかったことでへそを曲げ、傾奇者になり吉原で豪遊し、吉原随一の高尾太夫を身請けしました。

この時は、享保の改革の時で、吉宗は大激怒しました。政岑を無理やり隠居させ、懲罰の意味を含めて寒い越後高田に国替えとなってしまいました。

と、色々なお話が尽きない姫路城ですが、この時は100名城のハンコを押しただけで、お城の中には入りませんでした。

これから下は昔行った時の写真です。大改修をされる前ですが、綺麗でしたよ。

次から次と藩主が変わった姫路藩ですが、池田52万石の後は15万石で姫路城を維持しなければいけませんでした。姫路の領民は重税にあえいだ事でしょうね。

 

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