ひでです。お早うございます。2021年12月6日に行ったお城です。走っていて模擬天守が立派なんで行ってみました。


場所:愛媛県

城主:河野氏(土肥義昌)→細川氏→河野氏→長曾我部氏→加藤嘉明

石高:

別称:仏殿城

来歴:伊予・讃岐・土佐・阿波を結ぶ交通の要衝である川之江の鷲尾山山頂に位置した川之江城は、南北朝時代から戦国時代にかけての城で、南朝方の武将であった河野氏の砦のひとつとして、土肥義昌によって築かれました。

その後北朝方の細川頼春の攻撃を受けて落城、土肥義昌は討ち死にしましたが、細川氏は城の維持が出来なくなり、城は河野氏に譲られました。

河野氏の所領になった川之江城は妻鳥氏が城主となりましたが、長宗我部氏へ寝返ったため、河野氏の攻撃を受けて落城しました。河上氏を城代に置くも、長宗我部氏の攻撃を受けて川之江城は再び落城しました。

ですが、その長宗我部氏も豊臣秀吉の四国平定軍に敗れ、川之江城は開城し豊臣方の城になりました。

以後の川之江城は、関ヶ原の戦いの後に伊予国に移封された賤ケ岳の七本槍の加藤嘉明が川之江に入り居城とし改築しましたが、住まいを伊予松山城へしたため廃城になりました。

鷲尾山の頂にお城が有るんですが、駐車場までの道が狭くて大変でした。車を置いて上がります。

川之江市制施行30周年記念事業の一環として城山が整備され、

 

 

本丸跡に天守、涼櫓、櫓門、隅櫓、控塀などが建築されていますが、全く史実に基づいていないどこかのお城の模倣ですって。

天主閣にも上ったのか・・・写真が無いので忘れてしまいました。笑

でも、燧灘を見下ろすこの場所にお城が有ったのは確かで、色々な言い伝えと共に、与謝野晶子の詩が物語っています。

信長の野望にも支城として登場します。

 

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