ひでです。お早うございます。10月5日に行ったお城です。しのりだてって読めませんよね~。ここは和人の築いた道南の12館の一つです。
残念ながら志苔館には駐車場が有りませんので大通りを挟んだ公園の駐車場の止めて歩きます。
公園から海の方に下がっていくと志苔館が有りますが、町からは高台になります。
場所:北海道
城主:小林重弘
石高:
別称:志濃里館
来歴:津軽方面で南北朝の戦いに敗れた南朝方の武士達が道南に築いた館が志苔館の起こりだと言われています。
後に蝦夷を領していた安東氏の家臣の小林氏によって築かれ、その後、東北にて南部氏との戦いに敗れた安東氏は、配下の蠣崎李繁ら武将たちを道南の海沿いに「道南十二館」を配し、蝦夷において勢力の巻き返しを企てました。
これが阿伊努(アイヌ)を刺激することになり、志苔館付近にてアイヌのコシャマインを首長として一斉に蜂起しました。アイヌ勢は志苔館を初め十二館の内10までも陥落させますが、コシャマインは討たれ、志苔館も奪い返され戦いは終わりました。
その後幾度か散発的に戦いは起こり、志苔館も奪われたり取り戻したりが続き、廃城になって行きました。
因みにコシャマインは蠣崎季繁の客将だった若狭武田氏出身の武田信広に討たれ、その功で蠣崎に婿入り蠣崎を名乗り、コシャマインの戦いで力をつけた蠣崎氏が他の武将を傘下に収め、勝山館を築き蝦夷地の支配者となって行きます。
青いのが堀で赤いのが土塁です。
それでは、砦の中に入って行きましょう。青丸の橋を渡って
土塁の上から見た所です
黄色の矢印を辿って廓の中に
そんなに大きな敷地では有りませんが、平時には交易の場として使われていたんでしょうか?
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