ひでです。お早う御座います。ここは、2018年5月の四国の旅の時に行ったお城です。お城自体はメジャーではないと思うかもしてませんが、知る人ぞ知る、土佐の出来人長曾我部元親の生まれた城です。

「岡豊」。みなさん何と読むと思います「おこう」ですって。ここでモギリをしているおじさんに教わりました。それまでは「おほう城」だと思っていて、ナビに行き先を登録しようとして名前が出てこなかったんです。笑

以前、高知へ来たときに、お城の案内ボランティアのおばちゃんに「高知では山内さんと長曾我部さんのどちらが人気があるんですか?」と伺ったところ「長曾我部さんに決まっている」ときっぱり言われました。ですので、やっぱり岡豊城は外せません。

 

場所:高知県

城主:長曾我部氏

石高:?

別称:?

来歴:鎌倉時代後半に長曾我部氏によって築かれました。その後拡張されて行き、城郭としての規模を整えたのは長曾我部中興の祖の国親だと思うんですが。

スロープを上がった所に、県立歴史民俗資料館と城の入り口が有ります。「土佐の出来人~会いに来たぞ~」。元親さんもゲームの影響でしょうかすらっとしたハンサムボーイです。元親の自画像とは似ても似つかぬ。まあ、姫若子(ひめわこ)と呼ばれた元親さんだから、こちらの方が正しいのかもしょうが有りませんよね~。笑

岡豊城は岡豊山の頂上に建てられました。今は県立歴史民俗資料館が同居しています。

想像図ですが、昔は、こんな風に見えたようです。ここで元親は産声を上げました。これでは中々攻めれませんね~。

歴史民俗資料館の駐車場から詰ノ段を目指します。興味のない奥様は車に残るって言うもんで、私だけで山道をたどります。

天守閣と思しきあたりに、観光用のが立っていました。モギリのおじさんと話が弾みました。奥様は車に居て正解!。笑

山城って景色が良くて大好きです。ここから城下の様子や、家臣たちの住まいが見えたことでしょう。

戻って、歴史資料館でどっぷり長曾我部に浸りました。

長曾我部氏は飛鳥時代の秦氏の末裔だそうです。こんな話はよくある後付け?。後年土佐に下向し、長岡郡の宗我部郷に定住したんで長曾我部を名乗ったそうです。

でも、歴史に登場するのは元親の父の国親からでしょう。昔、一度は周りの勢力に滅ぼされた長曾我部氏でしたが、幼子は生き残り土佐中村に居た一条氏の庇護を受けて成長し、岡豊城を奪還したのが国親でした。

仇敵を滅ぼした国親でしたが、志半ばで亡くなり、その遺志を継ぎ四国をほぼ統一したのが元親です。ですが、秀吉の四国統一軍に敗れ、土佐一国の領主となりました。

関ヶ原の戦に西軍として時の当主盛親が参戦し改易となり、大阪の陣が起こった時、旧臣と共に参戦しますが敗れて処刑されました。これで、長曾我部氏は歴史の表舞台から消えました。

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