私の「こわい」の元になっていたものは・・・。
先日 東京でうけた 個人セッションで
「こわい」 の種になってる ふたつのキーワードが
現れてきました。
それは
「ひとりぼっち」
と
「グレー(灰色)」
このキーワードから よみとれるものは・・・。
「虚無」
つまり 私は 虚無の世界で生きなくちゃならないことを
なにより 恐れていた・・・ ということになる。
虚無の世界に生きている ではなくて
虚無の世界に生きなくちゃならない現実が みえたとき
その現実を 受け入れられずに 抵抗し続けている
という感じかな。
つまり 虚無とは対極の 愛の世界というのが
私の世界観のベースであって 絶対的な価値基準になっている。
愛の世界の定義としては
虚無の「ひとりぼっち」「グレー」の対極と考えてみても
「ひとりぼっち」 → 「みんなとつながっている」
「グレー(灰色)」 → 「カラフル(いろんな色彩)」
ていうふうに 考えてみることが できると思う。
「みんなとつながっている」 「カラフル(いろんな色彩)」
という世界を 私はもともと知っていて
そうでない世界を ありえないと感じている。
そうでない世界を 受けいれられずに 抵抗するから
恐怖があるのだ。
ああ この世界なんて そんなもんなんだ。
というふうに 妥協すれば できれば 恐怖はない。
だけど 私には それができなかった。
それが 絶対的な価値基準をつくっているのかなって思う。
今現在の私は 大人として ある程度 表面的には
この世界なんて こんなもんなんだ なんてことを
考えて 自分のなかに沸いてくる 抵抗感をしずめようとする
知恵はついていると思うのだけど それはやはり 表面でしかない。
だからこそ 二つの世界観のとらえ方
「外側の世界」 と 「内側の世界」 という概念に
いきついたのだと思う。
今 多くの人に伝えたいのは そこ。
この件については 別にコラムで 続きを書きます。
恐怖っていうのは 自分の生命の危機を訴えるサインでもある。
ということは そこは絶対ゆずれないっていう 絶対的な価値基準と
密接につながっているような気もするのです。
ということは 恐怖をもつことが 悪いことでも
生きづらくすることでもなくて 単にサインであり メッセージである
可能性もある ということなのですよ。
たしかに トラウマとかなら 開放もできるし 開放したほうが
素の自分を出せるようになるから 怒りもそうだけど
恐怖についても 何をメッセージしているのかを
的確に みていく必要があるなって 思っている今日この頃です。
有馬温泉初体験でした♪
近所のメジャーどころなのに 一度も行ったことのなかった
有馬温泉
きっと メジャーというところが わたくしの
反骨精神(ブロックによる)に そぐっていないのでした・・・。
でも イノベーション(革命)的な 私の素はあるのだけど
イノベーションも 反発の時代ではなくて
やっぱ 愛の時代なのだろぅなー。
しあわせになれってことだ。
愛しあっていこってことだ。
だけど 私のしあわせって何だろぅ・・・![]()
恋人と過ごすこと![]()
人生の伴侶とともに 一生をすごすこと![]()
人間のしあわせって 等しくみんな おんなじなの![]()
![]()
![]()
こんなコト 考えちゃうって ただのヘリクツの 自己正当化なの![]()
しばらく わたくしのテーマとしてみたいと 思うのであーる・・・。
予想はしていたけど 有馬は寒かったな 半そででは。
高地特有の 清涼な空気で とてもきもちよぃ。
やっぱ 自然には一番 癒されるなぁ・・・。
川の流れる音が 聞こえてくるだけで
全身の細胞が 洗い流されていく感じ・・・。
はじめての有馬のお湯は なんだかパワフルだった。
いつも あんまり長い時間は 入れないのだけど
小一時間というか 正味30分程度なのだけど
出てから ゆるゆるになりすぎで 動けなかった・・・。
また 今度は泊まりでゆっくり行こうと思った。
私には 特別な人はいないけど
世界の人を 愛してる・・・。
私は 人間のことが 大嫌いで憎いと思っていたのだけど
大嫌いと思えるってことは 実は 大好きでありたいのだ。
大好きでいたいのだ。
でも そうでないから つらいし 悲しいのだ。
本当に 人間のことが どうでもよかったら
人間に対しても 世界に対しても 無関心なのだと思う。
私は 無関心になんて とてもなれない。
むしろ いつでも一生懸命 全速力で 本気で
闘ってるよ。
愛について 考えている・・・。
来月からセッション料金が 値上げになるのだけど
こんな時代だし 値段高いと やっぱ受けにくいかも?
と蔦田さんに相談したら
「ゆみあちゃんは いつだって 本気やん。
本気でやってんねんから 相手にも本気になってもらわんと。
それだけ 覚悟して相手もきてくれるんやから それでいいねん。」
と言ってくれて 救われた。
私もそうだと 思う。
あみあみも どんどん進行ちうです。
ホテルでも毎日 有馬の湯で 癒されようと思います。
なんだか秋の気配で しんみりしたブログになっちゃった。
たは。
外側の世界 と 内側の世界【1】
私たちは 外側の世界を 唯一の世界だと
思いこんで 生きている。
だけれども 本来 世界は 内側にもある。
「なんじゃ それ?」
と 思う方は 残念ながら 感受性を閉じてしまった。
「ふむふむ。なにがどぅと説明はできないが わかる気がする。」
と 思う方は それでオーケー。
なぜならば 内側の世界とは 感じる世界であるからだ。
外側の世界は 絶対的に 物質的に存在している世界である。
それは もともと そうある世界。
内側の世界は 感じる領域で 確かにある世界である。
それは スピリットとよばれる エネルギーの波動の領域である。
今現在 私たちは 社会的に 内側を閉ざされてしまっている。
教育自体が 外側オンリー 外側絶対 外側しかない
という教育でしかなく 本当の意味での世界観というものは
閉ざされていて 感じる領域はまやかしであり 得体のないものであり
科学(左脳的言語化)できないものであるから それは無いと同じである
などという 無茶な理論で 片付けられているにすぎない。
そんな嘘に これまで私たちは 洗脳され続けてきたにすぎない。
まったくの 嘘っぱちである。
それがわかるのは 感じる感受性が 正しく機能している人だけである。
感受性を犯すのは 自分を貶めることでもある。
今現在の社会的世界観に 違和感をおぼえるなら
その違和感を 大事にされたほうが あなたのためである。















