長船駅から備前福岡を目指して歩いていると、こんもり茂った一角があり、
あそこは何でしょうね?
田んぼの中の道路がそこに通じてるようでもあるし?
でも、よく判らないので一応町並みを目指し、
大市のテントまで来たら、左手に妙興寺がありました!
日蓮宗教意山妙興寺
石柱には黒田官兵衛父祖之墓所と刻まれています。
妙興寺は播磨の国主赤松則興の追善供養のために、
応永10年(1403)息子の大教阿闍梨日伝上人が建立したそうです。
すき焼き弁当をお寺で頂くのもどうかと思いましたが、
境内の緑陰にベンチがありゆっくり頂けました。
美味しいお肉たっぷりで600円は嬉しい
本堂の後ろに聳えるのは、妙興寺のシンボルである大イチョウで樹齢400年とも!
周囲には水田が広がってるので、何処からでも目につきます。
大イチョウの下を抜けて墓所に行ってみると、宇喜多の文字
砥石城主だった宇喜多能家の子である興家の墓だそうです。
説明板によると、天文3年宇喜多能家は奇襲を受けて自害、
子の興家は当時6歳の八郎(後の直家)を連れて備後へ落ち延びます。
ほとぼりのさめた頃備前福岡に戻り、豪商阿部善定のもとに身を寄せ、
娘との間に二児をもうけますが、不遇のうちにこの地で病死してしまいます。
八郎(直家)は阿部善定や叔母の保護のもとに、この地で少年時代を過ごした。と、あります。
宇喜多興家の子で秀家の父でもある直家は裏切りが多いとの評判ですが、
祖父が城を枕に自刃、父も病死し、
当時の戦国の世の習いでお家再興の為に努力したのでしょうね。
こういうのを知ると、どんな武将にもホロリと来ますね。
宇喜多氏の墓の前をさらに進むと、かなり古めかしい墓がありました。
ここが黒田家の墓所のようです。
右画像が官兵衛の曾祖父である高政の墓だそうです。
黒田家のルーツは近江国伊香郡黒田村ですが、
永正8年(1511)に官兵衛の曾祖父である黒田高政が備前福岡の地に移住し、
大永3年(1522)にこの地で亡くなっています。
子の重隆(官兵衛の祖父)は備前福岡で育ち成長した後に、
播州に移住して小寺氏(御着城主)に仕官しました。
官兵衛は重隆の子の職隆(もとたか)を父として姫路城で生まれています。
黒田家が備前福岡にいたのは十数年間ですが、この時黒田家を支えたのがメグスリノキで、
重隆は黒田家秘伝の目薬である玲珠膏(しゅれいこう)をこの地で販売して財を成し、
黒田家の再興を支えたとされています。
慶長5年(1600)黒田官兵衛の子長政は関ヶ原の戦いの功績により、
52万3千石で筑前に入封しました。
この時築城した城を、先祖所縁の備前福岡から取って福岡城としました。
備前福岡の地は、 黒田家再出発のき っかけとなった地であり、
父祖の墓所があることからも官兵衛親子にとって思い入れのある地だったようです。
そう言えば、2020年のNHK大河は遂に明智光秀が主人公らしいですね。
今までの定説を覆すドラマを期待しています。