先日お友達から頂いた和菓子が絶妙だったのでご紹介します。
見た目は小さくて素朴なのですが、
あまりの美味しさにお抹茶を点ててもう一度味わいました。
東海道五十三次47番目の関宿(鈴鹿の関)は
大和街道、伊勢別街道と三街道が交わり、参勤交代やお伊勢参りの人々で賑わいました。
銘菓「関の戸」は江戸時代寛永年間の三代将軍家光の頃考案されて以来、
深川屋で380年間作られ続け、現在で第十七代目だそうです。
鈴鹿の峰に降り積もる白雪になぞらえたそうで、
求肥餅で小豆のこし餡を包み、和三盆をまぶしています。
求肥(ぎゅうひ)は和菓子の材料のひとつで、
白玉粉または餅粉に砂糖や水飴を加えて練りあげたものです。
舌に触れると和三盆がスーと融けて、正に白雪の食感でした。
諸大名達の間で人気を得た「関の戸」の噂は、やがて京都の朝廷にも伝わり、
深川屋は御室御所(仁和寺)の御用達菓子司となり、
江戸時代の伝統を今も守り続けています。
こういう伝統のお菓子って、その時代が偲ばれていいですね。
しかし、庶民には高根の花だったのでしょうか?
今だったらネットで買えますねv(^-^)v
晩秋の仁和寺 → こちら