金刀比羅宮の御祭神として祀られている崇徳天皇。
保元の乱で敗れて讃岐に配流され、一度も都に帰れぬまま崩御されたそうです。
本宮の785段から、さらに奥社へと登って行きます。
標識があり、右 於(お)くのやしろ道と読むのかしら?
これなら現代人にもよく分かりますね。
真井橋(まないばし)
真井橋を渡ると、北原白秋歌碑がありました。
守れ権現夜明けよ霧よ山はいのちのみそぎ場所
山はいのちのみそぎ場所という文字に、
身が引き締まる想いで、一歩一歩登って行きました。
5分程で朱塗りの神社が現れました!
923段目が崇徳天皇を祀る白峰神社です。
保元の乱は鳥羽法皇の死後、
保元元年(1156年)に皇位継承問題や摂関家の内紛で、
後白河天皇方と崇徳上皇方に朝廷が分裂し、武力衝突に至りました。
NHK大河「平清盛」でも描かれてましたが、平清盛や源義朝も後白河天皇方でしたね。
宮廷の対立が武力によって解決され、これ以降武家が抬頭していきます。
崇徳天皇と御母である待賢門院(藤原璋子)、大山祇神(山の神)が合祀されています。
緑の中で朱色がひと際映え存在感があります。
大正2年の建立で檜皮葺の屋根がかなり苔生してますが、
他は鮮やかなので最近塗り替えたのでしょうね。
本殿は流造で拝殿は入母屋造
歴史を感じるお守り所
崇徳上皇も後白河天皇も待賢門院の実子ですが、
敗れた崇徳上皇と待賢門院とが、白峰神社に合祀されていて哀れを誘います。