明治時代に建築された洋風の小学校校舎があるというので、

勝山へ行く途中の久世に寄りました。

 

シンメトリーで白い下見板張りの優美な佇まいに、ノスタルジーを感じます。

 

1907年(明治40)年竣工、当時の久世町予算の3倍の費用を投じて建てられました。

平成11年3月国重要文化財に指定されています。

遷喬尋常小学校は津山藩の「明親館」という塾が前進で、

中国の古典「詩経」の一節で、「出自幽谷遷于喬木」から、山田方谷が命名しました。

ゆうこくよりいでてきょうぼくにのぼる

ウグイスが深山の暗い谷間から飛び立ち、高い木に移ることに例えて、

学問に励み立身出世することを願ったとされています。

努力家の方谷らしいですね。

 

山田方谷揮毫ですが、方谷が号で球というのが名前だそうです。

 

校章は設計士の江川三郎八デザインによる高瀬舟の意匠で、

久世の文字が織り込まれています。

 

 

会津藩士江川宗之進廣伴の三男だった江川三郎八は、

戊辰戦争後に青森県斗南に移住させられ辛酸を舐めたそうですが、

宮大工、橋梁工事、学校建築を学んだ後、当時教育県だった岡山県に招かれました。

白虎隊に属していた兄の治郎八は、戊辰戦争で戦死されたそうです。

 

岡山県で手掛けた建物は多いですが、

倉敷市民にも日常的に目に入る建物が遺っています。

 

倉敷川沿いの美しい倉敷館(旧倉敷役場)は、江川さんの設計だったのですね。

 

 

明治時代の貴重な校舎は

映画やドラマのロケで度々使用されてるそうです。

 

 

 

お昼が近いですが、お隣のエスパスランドでコーヒーブレイク。

 

 

栗やスイートポテトが包まれたパイ、美味しかったです。

当時の人達にもこんな美味しい物を食べさせてあげたかったですね。