週刊 姫路モノレール -363ページ目

手柄山の慰霊塔


どうもです。


今日は8月15日の終戦記念日という事で手柄山山頂にある慰霊塔

正式名称 「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔」 についてと

姫路モノレールとの関係なんかを書いてみようと思います。


これまで書いてきた当ブログの中で 「慰霊塔」 や 「慰霊塔前の」 等

言葉が出てきたりで 「いったいどこにある何の慰霊塔やねん?」 と

思われた方もいるのではないでしょうか。


太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔 」 (この先慰霊塔に略)

について詳しく知りたい方はリンク先を見て下さいませ。


手柄山山頂にある慰霊塔は昭和27年4月、当時の姫路市長でもあり

後に姫路モノレールを造った 故 石見元秀 氏らの提案と呼びかけで

昭和28年5月から着工し、姫路モノレール開通の約10年前に当たる

昭和31年10月に工事が終了したようです。


手柄山は昭和28年5月からの慰霊塔の着工を機に整備されていき

昭和41年4月に開催された 「姫時大博覧会」 の主会場に選ばれて

姫路モノレール 「手柄山駅」 や改修工事中の 「姫路市立水族館」 が

同じ手柄山山上に造られました。


てなわけで今日の写真は

撮影日は各画像の右下をご覧下さい。


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「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔」 正面。


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現在は山上駐車場が駅舎跡の改修工事のために駐車できないので

慰霊塔に訪れる人も少ないです。


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日本地図に被災した都市の名前がグレーの丸い石に記されています。


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慰霊碑の説明文。


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記録では着工は昭和28年 5月8日なのに。


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記録では竣工は昭和31年 10月26日。

なぜか着工、竣工とも記録とは違った日付が入っています。


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建立当時はまだ日本に返還されていなかった沖縄もあります。


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両横の石柱には被災した地名や戦死した人数等が刻まれています。

兵庫県は全部で6市で、「尼崎市」 「姫路市」 「神戸市」。

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あと 「芦屋市」 「西宮市」 「明石市」。


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慰霊塔の後ろにもたくさんの文字が刻まれています。


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慰霊塔の建立50周年に行われたリフレッシュ工事の様子。


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もう1枚。


慰霊塔と姫路モノレールを造った主人物の一人が 故 石見元秀 氏で

慰霊塔とモノレールの駅が造られた場所も同じ手柄山でした。

石見元秀 氏にとってこの手柄山はとても思い入れがあったのでしょう。


そして現在の姫路市長は石見元秀 氏のご子息である 石見利勝 氏。

このお二人の親子姫路市長によって姫路市と手柄山は大きく変わり

姫路モノレールも大きく変わってきました。


でもせめて姫路モノレール軌道跡だけはあのまま残しておいて下さい。


それではまた。