自分のブログを見直してみたら、今年の1月末を最後に、その後まったく更新せずに今日に至っていることが分かる。半年以上の間、何をしていたのか、と思われそうだが、言い尽くせないほど様々なことがあった。

 3人で共同で行ってきた仕事は3月末締め切りをまもり、きちんと提出したが、共同で仕事をする難しさやストレスは相当なものであったし、それが何とか終わった後は、夫が急性の肺炎で2週間も入院し、気苦労の連続だった。夫が退院すると、今度は自分自身の体調が極度に悪化した。胃の不調による嘔吐、右耳に水がたまったような不快感が続き、肋間神経痛に悩まされ続けるなど、はっきりとした理由の分からない様々な体の不調から、毎日家事をするのが精一杯であり、ブログを書く気力が失せていた。一日一日の疲労感がハンパなく、独り言のように毎日「疲れたぁ・・・」と一人ぼやいていた日々の中で、羽生さんのある言葉が、私を励まし力づけてくれた。それは、本棚の隅から偶然手にとった、昨年(2024年)10月に刊行された『newsweek』の中での

言葉だ。「戦い続けることや挑戦し続けることで、疲弊したり孤独を感じたりすることはありませんか?」という質問に答えて言ったのが次のような言葉である。

 

「例えば皆さんの日常でも、仕事を終わって帰ってきて、「疲れた」と感じている時点ですごくがんばったんじゃないかなって、僕は思っちゃう・・僕はやっていることが派手だから注目され報道されたりもするけど、これは僕にとって「生活の一部」でしかないんですよね。みんなそれぞれ日常には大変なことばかりじゃないですか。褒められたり感謝されたりすることもめったにない、生活ってそういうものだと思います。」

 

 毎日「疲れたぁ」とへたり込むような日々を過ごしていた私にとって、「疲れたと思うことは、がんばった証なんだよ」と羽生さんに言ってもらったような気がして、すごく心が軽くなり救われたような気がしました。「僕もあなたも、一生懸命がんばって生活している点で基本的には同じなんだよ」という、温かい共感の言葉をかけてもらったような気持ちになったのです。「ただ僕の場合は、ちょっと目立つだけのこと」(いえいえ、そんなことはありません。その存在感は誰とも比較できないほど、多くの人々を魅了し励まし、喜びや感動を与え続けているのですから)と、極限まで謙遜し、それでも羽生結弦も他の人々も、大変な困難や苦悩を抱えてがんばっている「同じ生活者」なんだよ、だからお互いにがんばろう、というメッセージを、私は受け取ったような気がしたのです。羽生さんは、自分の役割や自分にかけられた期待は特別なものだとわかっていながら、あえて自分も「同じ日々を懸命に生きる生活者」として、私たちの心に寄り添おうとしてくれていることに、人間としての優しさを、とても強く感じました。

 私は、単純なようですが、この言葉をきっかけに「疲れたぁ」と口にださず、「今日もがんばった」と思うようにしています。そして、気持ちが少しずつ前向きになると、気力も体力も取り戻し、これから、また「ゆっくり、のんびり」とでも、ブログを書き続けようと思うようになりました。それが、今日のこのブログです。

 これから「のんびりゆっくり」をモットーに、細々とブログを書いていくつもりですので、今後とも、よろしくお願いいたします。