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平安時代の古典【宇津保物語】の漫画を描いています。

昨日、「カリスマ白書」という番組で桑田真澄選手がドラフトの時の騒動の件で話をするというので、
興味深く見させてもらった。

PLの桑田・清原は、私達の高校時代の甲子園のヒーローなんだよね☆
あの騒動があって、まるで英雄が地に墜ちるみたいな事になって・・(・・;)

あんなふうに取り沙汰されたのは、数年前の江川の騒動の事が皆の記憶に残っていたからだろうね。

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桑田選手はあの頃「僕は早稲田に進学します」と言っていたので、
ドラフトではどこの球団も1位指名はないと思われていたが、
なんと巨人だけが1位指名をし、交渉権を得た。

桑田選手は巨人との交渉に応じ、早稲田への進学を止め、巨人への入団を決めた。

桑田を指名したのが巨人だけであり、金がらみの密約を交わしていたのではないか、
という疑いをもたれ、数年前の江川の騒動に照らし合わせ、桑田と巨人に批判が押し寄せ、
ドラフト指名1位確実と言われていた清原に同情が集まった。

桑田は早稲田に行くそぶりをして、ドラフトの指名が巨人だけになるように
巨人に入れ知恵されたのではないか、と思われた為である。

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私の記憶ではこんな感じかな(・・)

高校時代は桑田選手の人となりもよく分からなかったのだが、
時折、こつこつと計画通りに食事のメニューを作成し、トレーニングをする姿をTVで観て、
「真面目な人なんだな~」
と思ったものだ。

この番組を観ていてフッと思ったのは、人が何を望んでいるかは本人に聞いてみなくては分からない、
って事だった(・・)

高橋尚子が引退した時も思ったけど、
彼女もマラソン選手を長く続けるなら小出監督の元にいた方がよかったのかもって思ったけど、
高橋尚子自身は小出監督の元から自立しないといけないって思っていたのかもなんて思った。
スポーツ選手としてダメになるって思うのと、人としてダメになるって思うのは、
違う次元の問題だからね~(・・)

17歳だった桑田選手の頭の中は、プロに入って果たしてやっていけるのか、
そんな力量や体力が自分にあるのか、大学に入って力をつけた方がいいのではないか、
祖母にずっと言われていた早稲田大学に入りたい、清原君と同じチームでプレイしたい、
巨人のエースになりたい・・と色んな夢や悩みが飛び交っていたとの事だった。

1年の時にレギュラーを獲得した事は世間の英雄視とは裏腹に、
上級生に冷たい目で見られ、辛い体験もしたので、清原と2人で助け合いながら乗り越えてきたらしい。
片方が上級生に叱られていても、むやみに助けたりすれば、
叱られてる相手がより叱られる事になるので、無視してじっと耐えていたとの事だった。

感情があからさまに表に出る清原と違い、投手というポジションで感情が顔に出にくい桑田は、
「僕の表情に出ていなかったかも知れないけど、僕も清原君以上に傷ついていました。」
と述べた。

清原に対する友情についても、
「僕の事を清原君が嫌いだろうが、嫌だろうが、
そんな事で清原君を嫌いになるレベルではないんです。
そんなレベルの友情ではない。
僕は清原君に嫌がられていても彼に感謝しているし、彼が好きです。
彼に出会えた事を僕は本当に感謝しています。」
と、何度も「嫌がられても」という言葉をくり返し、清原の感情に関係なく、
成立する友情である事を桑田は熱く語った。

私は桑田が言う友情の事を聞いた時に、美輪明宏がくり返し唱えている
「愛は無償です」
という言葉を彷彿としたかな(・・)

当時、ドラフトで指名された事について、巨人は清原1位指名とマスコミが騒いでいて、
巨人の監督だった王さんがTVのインタビューで清原のバッティングをべた誉めにしていた事から、
自分に指名はないだろうと思い、受験勉強をしていたそうである。

当時、清原君と同じチームでプレイしたいという思いと、巨人のエースになりたいという思いだったが、
ドラフトで1位指名を受けるのが確実と思われた桑田と清原の2人が
一緒のチームに入団するのは無理だと思われた。

当時4球団が
「君を1位指名するよ」
と桑田に言ってきたらしいが、蓋を開けたら巨人1球団だったという事らしい。

番組の最後で早稲田大学が受付した桑田選手の受験票が登場して、
「本当に早稲田を受験するつもりだったんですね」
と司会の小倉智昭が言っていたんだけどね。

桑田は騒動の当時、清原に自分の夢を語っておらず、
後年もこのドラフトの時の騒動について思い出したくなくて語っていないそうである。

桑田は
「清原君は4番打者である事に責任を感じるタイプで、打てない時に”すまん”と声を掛けられた」
と誉めていた。

なんか色々聞いているうちに当時の騒動の事なんかどうでもよくなったかな(・・)

清原がFA権を行使した時に、巨人か阪神のどちらかに入りますって決断したのが巨人だった。
あの時に阪神があまり強くなくて、
「阪神を強くしようという気概はないのか」
って思ったんだけど、もしかしたら清原は本当に憧れの巨人でプレイしたかっただけなのかもね。

清原の自伝も出るそうだし、読んでみたいね。

なんかつじつまが合わないって思った事が昨日の番組で妙に納得いったかな(^^)

面白かった☆