高校生の頃は
バブルがはじけて
世は好景気だった
自営の我が家は
週に3日は外食していた
父が好きなものしか
食べには行けなかったので
寿司
焼肉
時々中華
多いと週に3日寿司だった
側から聞くと
羨ましい話しかもしれないが
私は寿司に飽きていた
そして家庭料理に飢えていた
カレーやシチュー
肉じゃがや親子丼
そんな料理が食べたかった
高校生や中学生は
生魚より
肉が食べたい
焼肉はしょっちゅう連れて行かれたが
ハンバーグだって食べたかった
ファミリーレストランに行きたいと
頼むと
父は
あんな店にワシの食えるものがない
と言い
連れて行ってくれなかった
毒母は
食事を作らなくて良いので
内容に文句を言う事なく
付いてきていた
その頃、私は朝は1人で起きて
食パンを一枚焼き
紅茶を入れて飲む
それが朝食だった
昼は毒母が弁当をもたせてくれた
みんな色とりどりの可愛い
冷凍食品のお弁当だったが
私は焼き魚や煮物のお弁当だった
毒母は自分が栄養士の資格がある事に
プライドを持っていたので
我が家に電子レンジもなく
冷凍食品もなかった
夕食も
帰ると鍋に煮物があるか
カレーがあるか
何もなければ外食だった
毒母は自分が腎臓が悪いからと
かなり薄味の味付けだった
お嫁に出て
どれだけ薄味で育ったか
思い知ったのだが
親子丼など
ほとんど味がなく
けして美味しいーー!
と言えるものではなかった
日曜日になると
父は朝からパチンコに行き
勝つまで帰ってこなかった
勝つと必ず外食だった
負けると水炊きだった
毒母はそれをあてにして
日曜日の夕食の準備をしなかった
食育
その言葉を
自分が母になり聞いたとき
私自身が
食育されなかった事を知った