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①の続き✏️ピンク音符


『母の日』は、1週間程前だったけど


私って、元々、あまり


『母の日』『父の日』

『七夕』『クリスマス』

あと、『各自のお誕生日』


といった行事に

関係が薄い育ち。


意味は


私が育った実家では


そうした行事に

あまり重きを置かないタイプだった。


『母の日』に関して云えば


私の母も、母の母親に


『母の日』だからとして


プレゼントを送るとか

その日に電話をするとか

してるのを


私は見たことがないひらめき電球


それに


母の母や、母の父


つまり私の祖父母に


私の母は


お誕生日も含め

何か特別な行動をした試しがない派ビックリマーク


父も然別。


だけど


父も母も


離れて暮らす祖父母が病気になると

すぐに駆けつけ


母は長女として

何度も、母の実家に暫く滞在していた。


それで


『ローマの休日』が


テレビで放映された日

(13日の金曜日)


私は母と電話をして📞気づき


そのことを話題にしてみた。


わ「先週、母の日だったね」


は「そうだっけ?」  


わ「お母さんて、おばあちゃんに


『母の日』だからといって

電話するとかプレゼントを送るとか

してなかったよね」


は「そうゆうの一切してない。


お父さんのお誕生日も

自分の誕生日さえ

いつも忘れているもの(笑)」


わ「そうゆう行事をするのが

めんどくさいの?」


は「だって忘れちゃうじゃない。


それに1回やると、毎年しなくちゃいけなくなるから、めんどくさいじゃない」


わ「そうだよね♪だから私も、特にそうゆうのしてないね(笑)」


は「いいのよ、そうゆうの。


自由にこれからも生きましょう♪

気が付いた時に、すればいいの」


ですってビックリマーク


だけど、母の周りの友人知人の各集まりでは


毎年、今年は


子供や孫から

何をもらったとかの話題で 

盛り上がるらしい。


母は、そうした話題に、前々から


あまり興味がないとのことで


毎年、プレゼントを贈る側の子供達が


「毎年大変なのに、皆、よくやるわ」


って思うらしい。


ついでに


実家から遠くに暮らしている子供達が


毎年、お盆や暮れに、家族総出で帰省するのを


「お休み位、疲れて家でのんびりしたいでしょうに、気の毒ね。


親の方で、“大変だから無理に来なくていいからね”って言って上げればいいのに


皆(親側)、帰省するのが当たり前に思ってる」


とも、たまに言ってる派。


こうゆうことに関して言うと


私は、そのせいもあり、行事に縛られることなく


割りと

自由気ままに生きてきた面もあるのだけど


その反面、その弊害もあって


それは、子供時代に、例えば


・七夕🎋

・クリスマス🎄

・私のお誕生日🎂

・夏休みの旅行等


といった

楽しそうな行事には

関係がほぼない毎日で


そうした

賑やかで華やかな行事に

憧れてい面も、子供時代は多々あって


「私の家も


他の人達の家みたいに

様々な行事があったらいいのに。


他の家の人達と一緒のことを

してくれたらいいのに。」


って


私の家が

世間の家とちょっと違うことに


一抹の寂しさや

疎外感を感じて

大人になった節があるビックリマーク


それで18歳の時に


1年間、アメリカにホームステイをした時✈️


なんと、そのホームステイ先の家庭は


日本の私の家と真逆の


様々な家族の行事に

とても熱心な家庭で


一連の年中行事を

そのホームステイ先で体験した私は


「なるほどね。こうゆう感じね。」


って、納得して


それで満足し


「あるならあっても楽しいし

ないならなくて別に普通だわ」


という結論に達した次第ビックリマーク


そうビックリマーク


自分の産まれ落ちた

自分の運命を決める家庭に


身を委ねるのが


流れに逆らわず

無駄なエネルギーの浪費を防ぐ

心行きだと


私は


やむ無く

そう心得たのだと思うひらめき電球


幸せな人は


そうゆうのがあってもなくても

幸せだしビックリマーク


不幸せな人は


そうゆうのあってもなくても

不幸せだからビックリマーク


なんだか

元も子もないけど

そう思うに至る なう。


結局、この場合のことを例に取ると


自分のいる家庭が

年中行事を華やかにする

又は

あまり頓着ない


の事象で


自分が

不足や不幸(寂しさ等)を感じたら


先ずは


感じるものを

ちゃんと感じることだ。


どうして

感じるものを感じることが

大切かと言えば


その人は


その事象(この場合、自分が生まれた家庭が年中行事に疎い派のこと)



通して


自分の身体に内在する

“寂しさや不足感”のエネルギーを 

体験する人生プランが


成されていると視るからだ。


つまり


その人の持つ“寂しさ&不足感”



その事象に投影して

体験する人生プランが


魂に練り込まれて

今回の人生を生きているビックリマーク


と、私は視るからだひらめき電球


そして


その“事象”の形は


人それぞれ。


人生航路は


全て


自分が


産まれる前に

およその流れは決めて来たと考えれば


自分の環境に文句を言ったり


不足感満載になることが軽減され


今回の自分の人生から逃げずに


その中で腹を据えて


少しでも

生き甲斐のある快適な人生を

生きよう!


って


腑に落とせるというものだ。


自分のいる環境があまりに劣悪で


心身に悪影響となる場合は


いかにしたら

そこから離れられて


より良い環境を構築出来るかに

勤しめばよくて


それがその人の

人生のとても重要な学となるのだと

私は考える。


地に足を着けた地点から

よりよい方向に向かいたいなら


毎回、感じるものは

その場で感じるをすれば


思考業で

明るくポジティブシンキング~♪


とかって


気持ち悪いことしなくても


腹の底から力強く生きられると

私は思うひらめき電球


私は、まだその途中にいるけれど。


完璧な人間はいないから


親も完璧ではなく


一長一短な存在に思うひらめき電球  


最近、振り返って思うのは


私の場合、親に厳しく統制されたから


子供時代に

勉強に乗り遅れることなく


劣等感に苛まれなくて済んだ。


それに


私って元来


とても視野が狭くて

頭が固い鬼保守派な人間なの旗女の子


それを


今回の人生では


親が


私に、様々な選択肢を提示して


私の興味関心を広げてくれたことも


私の人生航路に於いて

とても助かったことなのだ。


映画『ローマの休日』といった

昔の名作も


頻繁ではなくても

美術館や劇場に足を運ぶことも


高い&安い様々な飲食店に


普通に入って

雰囲気を楽しむ文化も


母の影響でもある。


その一方で、私は


親の


私への接し方から

悪い影響も受けて来たけど


そうしたこと全てを総括して


一長一短気づきだと


私は思う なう。


あと


よく声高に


“親に感謝が幸せの基本”

的なことを唱える、


正論命♥️の人がいるけれど


世界は本当に広くって


そんな道理&真理は知っていても


いろいろあって

すんなり

ただ感謝の気持ちが持てない

大変な心情持ちの人達も


この人間世界には


沢山、存在していて


そんな場合



正論命派の人の

声高に唱える、


ザ・正論は


華麗にスルーしてよい⭕


いつだって

自分の現在地でいい⭕


正論をいちいち

気にしなくていい⭕


正論にピッタリはまらない自分を

自分で肯定して上げてよい⭕


自分が本心で感じる

全ての感情や気持ちが 

今の自分の正解⭕


どんな自分の状態も

どんな自分の感情や気持ちも


自信を持って

自分を肯定する心行きが

何より大切⭕


だって


冷静によく感じるなら


正論をかざす人って


ある意味、視野が狭いし


全てのことを

良い悪いでジャッジしてるから


“悪い”要素を否定する派だから


いい時は

この上なく親切だけど


悪い時は

人を正論でバッサリ否定してくるから


そんな人達に

いつもまともに接していると


息が詰まり


意識の水面下で

主従関係を結ばされる等して

大変なのだビックリマーク


意識を広げて


身体の実感レベルで

自由な心地よさを感じて


生きてゆくには


今、自分が


いい気分を感じているのか

不快さを感じたのか



ここをいつも自分の基準にして

物事の判断を決める習慣を


身に付ければ大丈夫🍀気づき


まとまりのない終わり方だけど


そんなことをいろいろと


母の日から1週間経った最近


私は考えました😌気づき





バラは美しいだけでなく

いばら(トゲだらけ)の道であるのも

一長一短ひらめき電球気づき

finピンク薔薇おすましペガサスラブラブ