1964年の東京オリンピックで金メダルに輝いた女子バレーボール日本代表チームを追ったドキュメンタリー。1964年10月、戦後復興の象徴として開催された東京オリンピック。

メダルラッシュに日本国民が熱狂する中、圧倒的な実力を見せたのが女子バレーボール代表だった。インパール作戦に従軍し、奇跡の生還を果たした大松博文監督率いる代表チームのメンバーは、その大半が紡績工場で働く工員で、連日深夜まで徹底的な特訓を受ける生活を送った。

その結果、彼女たちは世界から「東洋の魔女」として恐れられる存在となった。市川崑監督の記録映画「東京オリンピック」をはじめとする当時の映像、80代に差しかかった彼女たちの肉声などを交えながら、なぜ日本は彼女たちに熱狂したのかを解き明かしていく。

監督はテニス選手ジョン・マッケンローを追った「完璧さの帝国」など、アスリートたちに焦点を当てた映像作品を手がけてきたジュリアン・ファロ。



ドキュメンタリー映画「東洋の魔女」 1964年の東京オリンピック元メンバーが舞台挨拶に登場




1964年の東京オリンピックで金メダルに輝いた女子バレーボール・チームを追ったドキュメンタリー映画「東洋の魔女」が、11月13日行われた「フランス映画祭2021横浜」で日本初上映され、金メダリストであり、「東洋の魔女」の元メンバー、千葉勝美(旧姓:松村)さん、田村洋子(旧姓:篠崎)さん、中島百合子(旧姓:半田)さん、神田好子(旧姓:松村)さんによる舞台挨拶が行われた。

この日、作品を初めて見たという4人。神田さんは感動のあまり涙ながらに「あれから57年後の今日、すごく幸せに思います。フランスの監督さんが、私たちのために記録映画を作ってくれて、本当に感動いたしました」と感激のコメント。また、千葉さんは「こんな舞台に立つのは女優さんだけかなと思っていたので驚きです。みんなとは撮影のときぶりに会いました。魔女が4人しかいないのは少し寂しいですが。感動をありがとうございました」と久々のメンバーとの再会を喜んだ。

東京オリンピック当時はベンチでサポートに回っていたという田村さんは「チームの中で一番年下だったので、いつも最後に話すことになるのですが…」と観客の笑いを誘いつつ、この映画について「フランス映画ということで、自分が思っていたものとは、だいぶ違った映画でした。世界のことや日本の歴史が組み込まれていたので、感動するのと同時にとても勉強になりました」と語った。また、中島さんは「大松先生(当時の監督・大松博文)、笠松キャプテンたちがこの映画を観られたらどのように思うのだろう」と感慨深げに語った。



それぞれ映画で印象に残ったシーンを問われると、千葉さんは「雨の日にカッパを着て、ジムに行って、トレーニングしてというシーンを3、4日間かけて撮ったこと」と語った。一方、神田さんは「あの時代が一番楽しかった。バレーのことだけを考えていた。動いている大松先生やみんなに会えたことが嬉しかった」と涙ながらに振り返った。

ビデオメッセージを寄せたジュリアン・ファロ監督は、当時の彼女たちの過酷な訓練について「常識を超えた訓練なんですよね」と衝撃を受けたことを明かした。当時の「東洋の魔女」の衝撃とフランスでもポピュラーなアニメとして知られる「アタックNo.1」がそこから影響されて作られた作品ということに「私の神経路が反応した」と表現しつつ、本作をつくるきっかけにもなったと伝えていた。

また、東洋の魔女たちに対し、「TV局の取材にも対応され、ジャーナリストの質問に慣れていましたね。しかし、表面的なことではなく、より真相に迫ることを長いこと話してくれました。また、彼女たちへの興味関心を伝えたところ、それは少し新鮮で慣れていないことだったようです」「彼女たちはすぐに理解してくれて、出演することを受け入れてくれました。当時の選手としての努力が認められたらと思います。そして、この映画が東洋の魔女の選手の方々にも気に入ってもらえたらうれしいです」と、魔女たちの努力と撮影協力に対して感謝を述べた。