私はひとりでも留守番できる


だから


ショートステイは必要ない

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と、言い切ったおばさま。


本当だろうね。


できるのだね。



誰もがそう思った。


急にフラフラ~とすることもあるし、


足取りはおぼつかないくせに。



料理もしないくせに。





先日、意図的にではなく



買い物にでかけていて、渋滞にあい

いつもの夕食時間より帰りが遅くなった。



寝ていますように・・・。



私たちは思っていた。




デイサービスから帰ると、たいてい寝ている。


家に誰かがいるときは安心して。


ガーガーといびきを立てて寝ている。



が、



家に誰もいないと、ずーっと起きている。


不思議だ。


留守番をしてくれているのか?



理由はわからないけど。



一人だと不安になるのだろうな。


家族は帰ってこないのではないかと・・・。


考えすぎ?




その日も、デイサービスのあとだった。


誰もいないから、おそらく起きているだろう。


母は、「留守番できるっていうんだから、してもらったらいいのよ」 と


すこし冷たい意見。




寝ていたら、私たちの罪悪感もやわらぐ。


一人にして、でかけていた。という事実から。



帰りついたら、


案の定、起きていた。


電気もつけず、暗~い部屋で、ボソッと座っている。


後ろめたい気持ちに加えて、さらに怖い。



「遅くなってごめんね」 と 母


「・・・・」 完全無視 の おばさま。


母は、こういう態度が気に入らないらしい。




で、私にバトンタッチ。




しばらくしてから、私が


「遅くなって、ごめんね」 と耳元でいう。


「はぁ、どこいってたんや?」 と 


いつもより小さな声で答えるおばさま。



いつもなら聞かない。 「どこに行ってたのか」とは。



顔が少し怒っている。


視線が怖い。



「買い物」 と 私


「何の買い物?」 とおばさま


どこまで追求するのだ。必要ないだろ と思いながらも



「お歳暮」 と答えると


「誰にや?」



しつこいので、「いろいろ」と答えてその場を去った。



結局、ひとりにしておいたら怒るんだ。


おばさまのうそつき、と思う。



留守番・・させられないや。



あ~あと心の中で思う。




あの怖い顔。



思い出すと、ぞっとする。



どこまで、甘えるのだ。



大人になってくれ。




94歳のおばさまに対して、「大人になって」と思う私もおかしいけれど



『 3つ子の魂100まで 』



これって、本当だな。



おばさまの性格は、本当に末っ子体質。



変わってないや。





おばさまの


したたかなる態度を知ってから


素直に向き合えなくなった私。

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ショートステイを断わって以来、


なぁんとなく距離を置いていた。



というよりも、なんだかまっすぐ

おばさまの顔がみれなくなっていた。


「すまんなぁ」の裏側 を見てからは、

素直におばさまと接することができなかった。



とはいうものの、本心はおだやかでない。



じっと部屋にいるおばさまを思うと不憫だなぁとおもう。


旦那さまが亡くなられてから30年以上もずっと


一人暮らしだったから、そう寂しくはないかもしれない。




だけど、急に、"私たち"という同居人ができてからは


そうもいかないはずだ。


一人でもよかったのに、私たちがいることによって


孤独を感じるのではないだろうか。




家族が増えたがゆえ、浮き彫りにされる孤独。




私が心配するほど、あまり深く感じてないかもしれないが、

申し訳ないという気持ちが先にたつ。



私がおばさまだったら、ヘコたれる。


人の感受性とはさまざまなので、私のようにおばさまが感じているかは


別にして、私が心おだやかでいられないことは、


私にとっても平穏なことではない。





重苦しい空気から逃げ出したくて、


友人と外食して、楽しいと思う時間を過ごす。


何気ない会話のやりとりだけで、私の心はほぐれる。


楽しいと思う。



だが、

その裏で、こう思うのだ。


「おばさまの、心のよりどころってどこだろう? 誰だろう?」



我が家にきた理由は、数あれど


一緒に暮らすと決めたからには、責任がある。



私と一緒いる人は、悲しい気持ちにはなってほしくない。


悲しい気持ちにさせる自分もいやだ。


母たちには、もっと深いことがある。


だから、そこを改善させるのには時間がかかる。


できることからすればいい。



「おばさまの、心のよりどころになろう」 小さく決心した。




翌朝。



ヘルパーさんとお散歩から帰ってきたおばさまが、


やきいもを買ってきた。



父の仏壇に供えてと・・・・。



うれしかった。




そして、私の分も。




うれしかった。




掃除中だったけど、


中断して、


ひとつのやきいもを半分ずつ


おばさまとテレビを観ながら食べた。


いままでの、イライラとかごめんねと心で言いながら・・・。



とてもいい時間だった。



やきいもが、とても美味しく感じた。




やきいもに感謝する日があるとは思わなかった。




「知らない」。


それが、おばさまのやり方。


いい子ぶるのは、やめて。

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おばさまが、ショートステイに行かないことを


腹立だしく思うのは、


ある意味、私や家族のエゴであることは分かっている



おばさまが、思うとおりにしてくれないから、腹が立つ。


私たちの都合で、思うとおりに人を動かすなんて、


いけないと思う。。ちゃんと分かっている。




お互いに思いあってこそ、

穏やかな日々はあると思うのだ



だから、反省もしている。



しかし、素直に反省できないのは理由がある



というのも、




ヘルパーさんからの電話によると。

「ショートステイに行くことを嫌だといったこと、

 ○○さんは、家の人に言わないでほしいというのですが・・・。

 それは、いけないので」


なんでも、


おばさまは、



自分がショートステイを拒否したことを


家族に伝えず、


また、


そんな話がなかったかのように


ヘルパーさんに振舞ってほしいと



頼んだというではないかっ!!





「そんな予約ありましたっけ」 と。。



知らない顔して、その予約日をやり過ごそうとしたのだ。



私たちに伝えないでといったことは、



おばさまが、私たちの意志に反して

行動しているということを理解している証拠。


その意思表示に対して、

私たちを怒らせたくないという証拠。



そ知らぬ顔をして過ごせだとぉぉぉ。




これって、おばさま特有のやり方。


「知らんかったわ」 と


いつもとぼけるのだ。



そして、自分は悪者にならないようにする。

自分を守る最善策をとる。

周りを怒らせても、私知らないもんの一点張り。


だけど、それって逃げじゃないか!

そんなに都合よく行くわけないじゃないか。

いくつだ。




尻尾は見えているのだ。

いつも、いつも、いつも!!!



その態度に、両親はいつも困らされていたのだ。


だから、余計に腹が立つ。





おばさまの策略に、私は怒っている。




とぼけたふりして・・・、いつも世話かけてすまんなぁ。



もう、そのコトバは、聞きたくない。





腹の虫は、まだ治まりそうもない。