おばさまの


したたかなる態度を知ってから


素直に向き合えなくなった私。

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ショートステイを断わって以来、


なぁんとなく距離を置いていた。



というよりも、なんだかまっすぐ

おばさまの顔がみれなくなっていた。


「すまんなぁ」の裏側 を見てからは、

素直におばさまと接することができなかった。



とはいうものの、本心はおだやかでない。



じっと部屋にいるおばさまを思うと不憫だなぁとおもう。


旦那さまが亡くなられてから30年以上もずっと


一人暮らしだったから、そう寂しくはないかもしれない。




だけど、急に、"私たち"という同居人ができてからは


そうもいかないはずだ。


一人でもよかったのに、私たちがいることによって


孤独を感じるのではないだろうか。




家族が増えたがゆえ、浮き彫りにされる孤独。




私が心配するほど、あまり深く感じてないかもしれないが、

申し訳ないという気持ちが先にたつ。



私がおばさまだったら、ヘコたれる。


人の感受性とはさまざまなので、私のようにおばさまが感じているかは


別にして、私が心おだやかでいられないことは、


私にとっても平穏なことではない。





重苦しい空気から逃げ出したくて、


友人と外食して、楽しいと思う時間を過ごす。


何気ない会話のやりとりだけで、私の心はほぐれる。


楽しいと思う。



だが、

その裏で、こう思うのだ。


「おばさまの、心のよりどころってどこだろう? 誰だろう?」



我が家にきた理由は、数あれど


一緒に暮らすと決めたからには、責任がある。



私と一緒いる人は、悲しい気持ちにはなってほしくない。


悲しい気持ちにさせる自分もいやだ。


母たちには、もっと深いことがある。


だから、そこを改善させるのには時間がかかる。


できることからすればいい。



「おばさまの、心のよりどころになろう」 小さく決心した。




翌朝。



ヘルパーさんとお散歩から帰ってきたおばさまが、


やきいもを買ってきた。



父の仏壇に供えてと・・・・。



うれしかった。




そして、私の分も。




うれしかった。




掃除中だったけど、


中断して、


ひとつのやきいもを半分ずつ


おばさまとテレビを観ながら食べた。


いままでの、イライラとかごめんねと心で言いながら・・・。



とてもいい時間だった。



やきいもが、とても美味しく感じた。




やきいもに感謝する日があるとは思わなかった。