KOTOuBAn 1124 | 陽萌心智の数字教室

陽萌心智の数字教室

時は数なり Time is number

11月24日のお誕生日の方へ

 

その日は特別な日
なぜならあなたが生まれた日

 

 

理屈よりは

 

感情を

 

 

感情よりも

 

愛情を

 

 

愛情からは

 

豊かさを

 

 

豊かさよりも

 

 

芯の

 

強さを

 

 

今日のKOTOuBAn

清川虹子

1912年11月24日

(6・3・8)

〝どんなにつらくても5年はやりなさい


3年で分かったつもりになっちゃだめ


その後の2年が大切なのよ〟

種まきだけで
実りますか?

2002年5月24日 享年89歳
日刊スポーツ記事より

数多くの喜劇の名優と共演し、喜劇女優としてのプライドは人一倍高かった。榎本健一、伴淳三郎、徳川夢声ら、一世を風靡(ふうび)した喜劇の名優と共演。喜劇女優の先駆けとして、欠かせない存在となった。一方で「楢山節考」「復讐するは我にあり」など名作映画で鬼気迫る演技も見せた。恋多き女で波瀾万丈の人生だったが、豪快かつ庶民的な人がらは多くの人に親しまれた。


  当時、喜劇女優は“格下”とみられ敬遠された。

「日本の喜劇は、受け取る側がレベルを悲劇より下のものと思っている。だから若い女優さんが、なかなか三枚目をやりたがらないの。あたしはねえ、人が笑っているのを見るのがすきなの。だから喜劇を選んだの。コメディアンは多数いるけど、喜劇女優は今の日本に、あたし一人だけ」と言い切る強力な自負と自信を持ち合わせていた。
  

恋多き女でもあった。「女は恋をしないとだめ」が口癖で、結婚は4度。56年には、日米合作の映画「八月十五夜の茶屋」で共演した名優マーロン・ブランド(78)とのロマンスも話題になった。東洋の神秘を体現したような清川さんの肉感的な魅力に、ブランドが一目ぼれしたものだった。


  豪快さでも群を抜いていた。42年に結婚した東宝社長の弟大沢清治氏が死去した際、当時の金額で1億円を超す遺産を残されたが「財産目当ての結婚ではなかった」と全額を寄付した。89年の参院選挙では「笑いのある老後実現のために、ジャンヌ・ダルクになる」と、国政を目指し立ち上がった。年金党を旗揚げし比例区で立候補したが、惜しくも落選した。


  83年に、カンヌ映画祭でパルムドール(最高賞)を獲得した映画「楢山節考」では70歳のヌードも披露した。左とん平(64)とのラブシーンも体当たりで演じ「初めておっぱいを見せたけど、なかなか良かったでしょ」と笑った。


  秋上映の映画「夜を賭けて」(シネカノン)が遺作となる。3カ月かけて韓国で撮影。戦後をたくましく生きる在日コリアンの女性を描く人情物語で、清川さんはそのオモニ(お母さん)役を演じた。喜劇もシリアスも見事に演じる清川さんの女優人生が凝縮された作品となった。


  戦前、戦後を通じ、日本中に笑顔を届けた。かつて「死ぬことは怖くない。あの世には、最高の映画ができる素晴らしい役者さんがそろっているから」と話した。日本に1人と自負した、喜劇女優が逝った。