拝啓 川端康成先生
この写真は、昭和32年「それいゆ」48号の中のものです。
川端先生が愛犬とくつろいでいらっしゃる珍しい一枚ですね。
先生は昭和10年頃にまだ二十代の前半だった中原淳一と
舞踏公演の楽屋や銀座の街で顔見知りになられて
昭和12年にはじめての連載少女小説「乙女の港」を執筆なさるとき
挿絵画家として中原淳一を指名されたのですね。
先生の目に映った淳一青年はどんなふうだったのでしょうか。
それから3年近く、「花日記」「美しい旅」と
人気コンビとなっての連載が続きました。
戦後もお二人の交友は続き 「ひまわり」には再び連載小説を、
そのほか「それいゆ」にも たびたび登場なさっていますね。
そして昭和45年刊行の「女の部屋」には
日本初のノーベル文学賞受賞作家として巻頭に原稿を寄せられています。
先生の生誕月であるこの6月、大阪の茨木市立川端康成文学館で
初の「川端康成&中原淳一展」が開かれることになりました。
平成の読者たちがきっと見てくれることと思います。
先生の少女小説が時を超えてみんなの心に届きますように―――。
学生生活を終えると
机に向かうことを
ほとんど忘れてしまったようになる女性は
たくさんいる。
それは男性にも
同じことがいえるのかもしれない。
しかし一つの住まいの中に
一つの机はほしいもの。
そして机というものは、
より高いものへの
心を養う
場所といえるのではないだろうか。
中原淳一
追悼 長門裕之さん
訃報が相次いで つい気が滅入りがちなので
元気を出して
若き日の長門裕之さんをご紹介しましょう。
この写真は1957年の「ジュニアそれいゆ」の中のもの。
この前年から、「あなたに似顔をあげましょう」という連載が始まりました。
毎号、選ればれた若きスターの似顔絵と「贈る言葉」を淳一さんが書き、
その似顔絵が読者に抽選でプレゼントされたのです。
もちろん、大人気の連載でした。
今日はこのときの淳一さんによる「長門裕之さん」を一部再録して
追悼の言葉とさせていただきます。
合掌。
長門君には、僕は紺の背広が着せたい。
そして、純白のワイシャツに
ネクタイは赤味のかかったぶどう色が
きっと似合うと思う。
いかにも都会育ちらしい、洗練された中に
京都の街でも見る様に
日本の伝統に感じる「男の子」を
僕は長門君から感じる。
育ちの良さが感じられる品のよさと、
親しみやすい雰囲気がある。
そのどれもが みんな
長門君の魅力だと僕は思う。
中原淳一
児玉 清さん
児玉清さんの突然の訃報は
かなりなショックでした。
面識はなかったけれど
児玉さんは、いつも『中原淳一』を語るとき
少年の瞳で、少年のはにかみ笑いをして
自分にとってどんなに「紫苑の園」が大切な本なのかを
語ってくださっていました。
「紫苑の園」は16歳で亡くなった少女が遺した処女小説。
その才能をみつけた淳一さんが彼女の死後、本にしたのです。
「清らか」という言葉がこんなにぴったりくる小説を
私はほかに知りません。
初めて読んだ二十代の頃、その世界があまりにも清らかすぎて
読み続けるのがつらくなったほどでした。
その世界を、少年のときから七十代になられてもずっとずっと
心の糧にされていた児玉さん。
児玉さんと仲良しだった葦原邦子さんから聞いた話―――
「フランスのおみやげ」って渡された箱をあけたら
ブーローニュの森で拾ったという色とりどりの美しい落ち葉が
いっぱいに入っていたと―――。
こんな素敵なおみやげ、生まれて初めてだった と
義母はいつも自慢げでした。
こんなことがとっても似合う、素敵な素敵な 児玉清さん。
心からご冥福をお祈りいたします。
「レモン色の風の中で」
レモン色の風が吹く
さわやかな五月の日
さよならもつげないで
風のように 消えたひと
あなたは 今どこに
果てしない 空の下
どこかで私のことを
思いだしているかしら
いくたびか この季節
めぐり来て くりかえし
あなたのことを 忘れられずに
涙ぐんでる 私なの
みどりにうずもれて
あなたの名を呼べば
そよ風は すぎてゆき
ただ こだまだけ
中原淳一
美しい日本語
真似する人が出てきたと聞きました。
いまドキの若い人のしゃべりかたって崩れすぎてるもの~
なんて言うと、年寄りくさく聞こえるかもしれませんが
話し言葉も絵文字メールみたいな人、いますよね?
新年に「あけおめ」ってメールをもらったときは
さすがに驚きました。何もそこまでしなくても・・・・・・(*_*)
でもね、言葉を縮めるのは今に始まったことではなくて
昭和の少女(?)たちもちゃんとやってた。
すごく人気のあった二枚目俳優の坂東妻三郎をバンツマ
嵐 寛寿郎をアラカンって呼んだりね
(ちなみにバンツマは田村正和さんのお父上ですが)
淳一さんがナカジュンって呼ばれたかどうか定かではありませんが
「ホンジュン」「ニセジュン」っていうのはあったんです
あまりにも中原淳一が人気画家だったので
戦争前、淳一さんの絵にそっくりな偽物が
たくさん出回っていたんですね。
ファンたちはそれをちゃんと見分けて、
本物、偽物、ってわかりながら集めていたんですって。
大切なのはこの「わかりながら」っていうところ。
言葉だって同じです。
私たちの国の言葉、日本語はとても美しい言語なんです。
だから、正しく美しい日本語をちゃんとわかった上で、
「わかりながら」崩し言葉を使ってくださいね。
これがニセジュン。似て非なるもの、ですネ。
言葉はなんのためにあるものでしょうか。
お互いが用を足すために
言葉のやりとりをする、
その同じ『言葉』でも
ちょっとしたつかい方で
それを聞いた人の心がポッと温められて
しあわせな気持ちになったり、また
反対に味気ない不愉快な気持ちで
生きているのもいやになることさえあるのです。
だから、私たちが毎日耳にする
言葉の一つ一つが
みんなの気持ちを明るくする様な
いたわりや思いやりのある
暖かい心から出た言葉ばかりであったら、
どんなにすがすがしい毎日が送れるだろう……
とは思いませんか。
中原淳一
淳一さんの香り?
まだ知らない人も多いと思うんですけれど
「香りの博物館」っていう小さな博物館があるんです
東京からだと、浜松の少し手前あたり
そこで、いま「中原淳一の世界」展を開催中なんですが
その期間中に、そこに行かないと買えないんですよね
この香水。
展覧会記念で
中原淳一をイメージした香水を創ろう! ということで
うーん、淳一さんの香りってどんなのだろう????
いろいろな意見が出ましたが
やっぱり「美しく生きる」をテーマにした香り
美しくて優しくて賢い女性のイメージで
どこか懐かしい、ほっとするような香りをと
調香師の新間美也さんがつくってくださいました
ベースは白バラの香りです。
展覧会入り口です
あなたが美しく装ったときには、
一滴の香水を忘れてはなりません。
美しい香りは、
あなたに楽しい時間をつくってくれます。
美しい香りは、
あなたの人生を素晴らしいものにしてくれます。
美しいあなたを、
もっと魅力的にするのは
一滴の香水をプラスする事から始まることを
忘れないでください。
中原淳一