追悼 中村メイコさん | ひまわりやブログ -中原淳一の美しい言葉-

追悼 中村メイコさん

 

 

 

『たぶん、いちばーん古いひまわりっ子でしょう。

 

 

 懐かしの中原先生、いつまでも私の胸の中はひまわり色です。』

 

 

 

 

これは、中原淳一の生誕111年を記念する巡回展覧会

 

 

「111年目の中原淳一展」に寄せられた、

 

 

中村メイコさんからのメッセージです。

 

 

 

 

展覧会のご案内をお送りした数日後の昨年11月ある日のこと、

 

 

メイコさんからお電話がありました。

 

 

 

 

「祝電のような形がいちばん良いと思ってね。。。

 

 

 今から申し上げますから。」

 

 

と、いつもと変わらない、若々しいお声で

 

 

電話口で読み上げてくださったのを慌てて書き止め、

 

 

横浜そごう美術館の会場出口のところに

 

 

額に入れて飾らせていただきました。

 

 

 

 

展覧会が終了したらご報告を、と

 

 

思っていた矢先の訃報に

 

 

いまだに現実感が伴わない、置きどころのない思いです。

 

 

 

 

メイコさんは2歳から子役として芸能界で活躍しながら、

 

 

「ひまわり」が創刊された13歳くらいの頃から、

 

 

愛読者として小説や詩などを投稿していらっしゃいました。

 

 

それがたびたび入選している間に淳一さんの目にとまり、

 

 

最年少の編集部員として

 

 

投稿欄「ひまわりさろん」の’ちびっこ’編集長やレポーターとして

 

 

誌面でも活躍されるようになりました。

 

 

淳一さんにごく近いところで、可愛がられた存在です。

 

 

 

 

 

 

 

 

最初の写真は昭和25年1月号の「ひまわり」から

 

 

「小さな花メイコさん」

 

 

そして「ジュニアそれいゆ」昭和31年5月号

 

 

「私のお母さま」という特集から

 

 

お母さまとご一緒の写真です。

 

 

 

 

ひまわりやの私たちの活動もいつも応援してくださって、

 

 

展覧会でトークをしてくださったこともあれば

 

 

新しい本が出る時にインタビューで

 

 

淳一さんの話をしてくださったことも

 

 

何度もあります。

 

 

 

その度いつも、

 

 

「今日は淳一先生っぽいオシャレしてきたのよ」と

 

 

レースのテーブルクロスをストールのように肩にかけたり

 

 

お帽子に白い花やひまわりのブローチを飾ったり

 

 

手作りのつぎはぎのスカートだったり。

 

 

いつも「ひまわり少女」の心を持った

 

 

あたたかい方でした。

 

 

 

「2歳からこの世界で仕事して、いつの間にか長老になってしまってねえ」と

 

 

笑っていらしたお声が今も耳に残っています。

 

 

 

本当に本当に、ありがとうございました。

 

 

心よりご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

 

$中原淳一応援ブログ

 

「ひまわり」は、「それいゆ」の一年あとに生まれました。

美しくて、かしこくて、優しくて、

ものを考えることのできる女性であってほしいと思って

「それいゆ」は生まれたのですが、

そんな女性をつくるためには、

それにふさわしい少女のための雑誌が

なければならないと思ったのです。

 

音楽が好きで、読書が好きで、詩が好きで、

優しくて、ちょっぴりおしゃれの少女が

たくさんいてほしかったのです。

 

 

中原淳一