ふたりのヘップバーン
この絵を見て、
ヘップバーンがモデルですか?
と訊かれることがよくあります。
中原淳一は、似顔絵以外は
モデルを見ながら描くということはなかったのですが、
時代はまさに、オードリーが人気だった頃。
この1954年秋号の「それいゆ」には
「ふたりのヘップバーン」という記事があります。
映画「ローマの休日」が公開されたのが1953年。
この記事によると、
「最近の流行の話題を賑わしているものといえば、
ヘップバーンスタイルと呼ばれる髪型が、
その無くてはならない標題のように考えられている」
のだそうです!
ある会社の入社試験で、
流行の話題を3つあげよ、という設問に
千人以上の受験者の80%が
ヘップバーンの髪型をとりあげたとか。
こうなるともう、社会現象ですね。
オードリー・ヘップバーンが出てくるまで、
ヘップバーンと言ってみんなが思い浮かべるのは、
キャサリン・ヘップバーンという女優さんでした。
ローマの休日より20年以上も前に
「若草物語」のジョーの役で人気を博し、
50年代にはすでに大女優ですが、
そのジョーの時の髪型もまた、当時「ヘップバーンスタイル」
と呼ばれて流行したのです。
「ふたりのヘップバーン」はそのことを論じた最新記事
というわけです。
これより2号前の、1954年春号の「それいゆ」では、
ハリウッドの新星として、
オードリー・ヘップバーンをいち早く紹介しています。
流行の最先端を担っていた雑誌「それいゆ」。
表紙を描くにあたって、
この時の淳一さんもヘップバーンスタイルの流行を
少し意識していたのかもしれません。
戦前に「スタア誕生」という映画があったが、
その中で
これから売り出そうというスターの卵を
さてどういう顔で売り出せばよいものか、と
まずその顔にいろいろの眉を描いてみる、
そんなのがあった。
そうして作り出されたスターの顔が
その時代の人々に
新しい美しさを感じさせたとすると、
そこで新しい美人の型が生まれてくるわけだ。
いつの時代の美人も、
その時代には絶対であったものが
素晴らしいと思える。
流行とは不思議なものである。
中原淳一