精神科の患者になって諦めた事は沢山ある。


そこには割と悔しさを伴っている。

花(娘、仮名)を出産してすぐの発症だから

出産はすごく幸せで亡きダンナさんとも

「落ち着いたらもう1人欲しいね」

と言っていたけれど

諦めるしかなかった。

「1人授かれただけでも幸せなんだから」

と自分に何回も言い聞かせた。

減薬とか方法は有ったけれどダンナさんが望まなかった。花の育児さえ私は出来ないまま長く入院して乳児院にお世話になってダンナさんは大好きな花と離れて暮らした。それで何故もう1人、という気持ちだったと思う。


元々は社交的な私だけれど

花の成長とともに今より精神科への偏見が強かった時で「私の病気がバレて花がイジメられたらたまらない」と極力ママ友も作らなかった。その頃は薬の副作用で初めて会う人には「喘息?」とよく聞かれる位呼吸がゼーゼーしていたし落ち着きも無いし家に居るのが楽で花が乳児院から戻って保育園へ通っても集まりとかはほぼパスしていた。


仕事も10年位経って簡単なバイトからできるようになったけれど

ネガティブな発言は好きでないけれど

今で言う妊活に備えて辞めたハードだけれどお客様に「ありがとう」と言っていただけていた仕事に戻りたかった。

上司にも「戻って来てね」と言っていただいていた、それだけ若い私は頑張っていた。


沢山諦めて

自分のできる事をして過ごして来て


戻りたかった職場に

私が教育係を任された中でも覚えが悪いし何度も同じ事を聞くのにメモを取らず、でも人当たりは良くて憎めないタイプの子が

別の部署だけれど子育ても終わって社員として働いていると聞いた。

正直聞きたくなかった。

人を「羨ましい」と思うのは好きでない。

毒親と言ってしまえる両親の元で狭い団地で育って

習い事なんてさせてもらえなかった

やりたい事はできる範囲で頑張ればある程度手に入るから頑張った。バイトして学費も払って、、やりたい仕事に就けたのも努力以外に運が良かったのも有る。


今の私は

その仕事には就けない。

何年も前に諦めた。


今、モヤモヤしている。

とても悔しい。

世の中平等なんかじゃない。

20年少しで悟ったはずなのにな、まだモヤモヤする事があるなんて。

鎮めるしかない。

なんだかなー、




では、また(╹◡╹)