日常生活の中で
きっかけが有ればウツになるけれど、それ以外というか
亡きダンナさんの誕生日も私の誕生日=結婚記念日も何とか過ごせて
もう少しで難関(?)ダンナさんの命日が来る。
本来なら亡き人を想って家族とその人の事を話したりするのも良いのだろうけれど
ダンナさんは自死なので少し違うと思う。
数年前のその日を考えたらウツになりやすい。
なるべく考えない様にしてしまうし記憶が無い部分は自死遺族の集まりに以前参加した時の担当の方に「防衛本能」と言われた。
ダンナさんはいつから自死を考えていたのか、、
あまりにも用意周到で
曜日や時間から花より私が先に遺書を見つけるだろう日、私が気づく頃にはダンナさんはもう亡くなっている時間、でも警察の方が先に見つけてくれる場所
私の中では
私が精神科の病気になった事でそれにまつわる様々な出来事でダンナさんを疲れさせてしまったと思っているけれど、遺書にそんな事は一切書かないでくれた。書いて良かったのに。
私は精神科の病気を発症して数年の頃の薬の副作用が辛過ぎて人生終わらせようと本気で思った。実行する前に急に薬を変えられて元気になり過ぎてそのまま保護室に入院した。これが最後の強制入院で、状態が酷すぎてダンナさんは主治医から「奥さんはもう正常に戻らないかも知れない」と言われたと大分後で聞いた。
その時は生きているのが辛過ぎて終わらせた方が楽だと本気で思った。
だから自死した人を「絶対してはいけない事をした」という一定数の方々の考えとは異なる。
けれどダンナさんの自死は、、責められないけれど
パパっ子だった花はずっと辛い思いをしている。
辛いだろうけれど私に「辛い」と言わない。私の精神科の病気のせいで赤ちゃんの頃も小学生の数年も離れて暮らした。お互いにどこか遠慮が有る感じ。
どちらか、究極の選択をするなら私が居ない方が良い。花にとってのダンナさんは100点満点のパパだったと思う。
そんな事を毎年考えて泣いて
それでも年々落ち込み過ぎなくなっていて
それなりに楽しい事も有って美味しい物も食べて
何度か書いているけれど私は図々しく生きている。
では、また。